阪神・淡路大震災の激震から命からがら逃げ出した人々の多くが、急ごしらえの避難所にたどり着く。
阪神電鉄今津駅北の西宮市津門呉羽町、津門小学校には近隣住民約1200人が身を寄せた。
体育館は避難者で埋まった。放心した目、うつろな表情。余震にどよめき、悲鳴が上がる。地震発生時の体験を話す大人を背に「思い出すからやめて」と耳をふさぐ子どももいた。
教室に遺体が安置された。28体。線香のにおいは、体育館にも届いた。
生と死が隣り合わせの空間。神戸市長田区の神戸村野工業高校では、遺体や焼け跡から見つかった遺骨が体育館などの安置所に並び、避難所まで遺族の泣き声が響いた。
雪がちらつく寒さだった。ストーブはなく、毛布や布団をかぶっても身震いした。「震災当初は避難所の環境が悪いことは当たり前、我慢も当然と思い込んでいた」。兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長の室崎益輝(よしてる)(75)は振り返る。
避難者は朝や夜、たき火を囲んだ。「命があっただけ幸せ」「いつまでここにおるんやろ」。何げない世間話で互いを励まし、先行きの不安を紛らわせた。
1995年1月18日未明、神戸市東灘区御影浜町の臨海部にある液化石油ガス(LPG)タンクでガス漏れが起きた。市は避難勧告を発令。約8万人が避難のため移動する。
同区の御影北小学校には、ガス爆発を恐れた人々が身を寄せた。ピーク時で約2千人。体育館は天井の部材が落下する危険もあり、30ほどの教室を避難者が埋め尽くした。
地震への備えは名ばかりだった。震災前、人口150万人の神戸市が備蓄する毛布は約1800枚。保管場所は区役所だった。食料はゼロ。同小には給食室の冷蔵庫に1日分の食料があったが、断水で飲料水は手に入らなかった。
「みんなで決めたことはみんなで守ろう」。学校長とPTA会長、避難者代表の3者はそう話し合い、避難者に提案した。トイレ用の水はプールからバケツリレーでドラム缶に移して準備。近隣住民から提供された布団は高齢者へ優先配布した。救援物資の食料で余った分は公園などの避難者に譲った。
3者協議にPTA会長として出席し、後に神戸市議になった浦上忠文(73)は「市民による自治と協働の姿があった」と回顧する。給水車が到着した時、校舎全体から沸き立つような歓声が上がった。
同じ苦境を分かち合う中で連帯感が生まれた。「災害ユートピア」と呼ばれる状態だ。
神戸市中央区の東神戸朝鮮初中級学校(現・神戸朝鮮初中級学校)では校舎が全壊したものの、地域住民らが校庭で避難生活を営み、焼き肉パーティーで励まし合った。同市長田区の南駒栄公園では掃除やごみ出しで対立した日本人とベトナム人が胸襟を開いて互いの境遇を語り合った。その光景を「天から優しさが降ってきた」と語る人もいた。
震災が身分や人種、国籍という見えない「壁」を取り払った。だが、避難生活が落ち着くにつれて揺り戻しが起きる。御影北小では震災から約1週間後、一部の避難者から「家がある人は帰ってほしい」と声が上がる。さらに数日たつと学校長が「授業を再開したい」と訴え、避難所の在り方について議論が沸騰する。
神戸大3年生だった尼崎市長の稲村和美(47)は「何か力になりたい」との思いに駆られ、1月末ごろに同小を訪れる。「長くいなければ状況の変化に対応できない」と考え、長期の滞在を決意。体育館のステージ上で寝泊まりした。ボランティアリーダーとなって避難者の要望を学校側に伝える役割を担った。
奈良市の実家に被害はなかった。家を失った避難者に後ろめたさを覚えたが、避難者からの「ごめんね」「ありがとう」の言葉がうれしかった。「お互いさま」「おかげさま」と思いやる大切さが肌身にしみた。
その時々の課題に取り組んだ。「必要な仕組みや規則を議論して作り、運用する体験は大きな学びだった」と稲村。学生が「自治」の体験を共有できるようにと、同年5月に大学内に総合ボランティアセンターを立ち上げる。そして、被災者が住宅を再建する困難さと支援制度の乏しさを実感し、政治の道を志す。「避難所には地域の課題が凝縮されていた。課題を解決するには行政とボランティアの深い連携が欠かせない」
食事、入浴、排せつ、移動。日常生活の何げない行為が避難所では困難を伴う。高齢者や障害者はなおさらだ。後の災害で導入される福祉避難所は、まだなかった。
障害者の社会参加を支援する神戸市長田区のNPO法人「ウィズアス」代表理事の鞍本長利(69)は、同区水笠通の自宅で被災。西の方角から火の手が迫っていた。
2人の娘を連れ出さなければならなかった。長女の麻衣=2012年死去、死亡時(38)=と次女の紗綾(さや)(41)は重度の脳性まひがある。自力で移動できず、暮らしに車いすは欠かせない。おびえる2人を車に乗せ、近くの小学校へ急いだ。
着いた先は同区の蓮池小。教室も廊下も、グラウンドも着の身着のままの人でごった返した。紗綾はトイレに行きたがったが、汚物であふれて使用禁止。室内でも外と同じくらい寒い。後に同小を訪れた林山クリニック院長の梁勝則(リャンスンチ)(63)は「災害関連死を招く劣悪な状況」を実感する。呼吸器官が弱い麻衣を留め置けるとは思えなかった。
「障害者は避難したくてもできなかった」。鞍本は、紗綾が通う同市垂水区の市立垂水養護学校の協力を得て、教室1室を開放してもらう。この部屋を「垂水障害者支援センター」と名付け、2月上旬に開設。閉鎖されるまでの144日間、延べ約400人の障害者が利用した。
梁が始めた「高齢者専用避難所」と並んで福祉避難所の先駆けと言われる活動の原点は、助かった命を避難所で失いたくないとの思いだ。重度障害者が利用できる仮設風呂はなく、流動食しか食べられない麻衣のような人もいる。トイレは介助者が必要で時間がかかり、行列があると避けてしまう。障害者の日常にある問題が、震災によって顕在化した。
「福祉避難所は重要だが、整備しただけでは障害者を救えない」と鞍本。そもそも誰がどうやって障害者や高齢者を福祉避難所へ連れて行くのか。地域社会の取り組みは遅々としている。「家族が付き添えない場合もある。障害者の問題を社会全体で共有する必要がある」と訴える。
どんな時も人が人らしく暮らす。避難所の風景は、社会の課題と可能性を映し出している。=敬称略=
(金 旻革、竹本拓也)
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