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災間を生きる 震災人脈

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「助け合うことが『当たり前やん』って言える社会にならなければならない」と力を込める村井雅清さん=神戸市兵庫区中道通(撮影・斎藤雅志) 国内外の被災地支援に取り組む曺弘利さん。訪問先の風景をスケッチし、出会った被災者に手渡している=神戸市長田区長田町 「弱き少数者が誰なのかを意識することが常に大切だ」と訴える芹田健太郎さん=神戸市中央区東川崎町 豪雨災害に遭った佐賀県武雄市でボランティア活動を続ける鈴木隆太さん。「阪神・淡路大震災の経験を還元したい」と意気込む 熊本県益城町の初代危機管理監を務める今石佳太さん。「益城町らしい復興を後押ししたい」=熊本県益城町木山
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「助け合うことが『当たり前やん』って言える社会にならなければならない」と力を込める村井雅清さん=神戸市兵庫区中道通(撮影・斎藤雅志)

国内外の被災地支援に取り組む曺弘利さん。訪問先の風景をスケッチし、出会った被災者に手渡している=神戸市長田区長田町

「弱き少数者が誰なのかを意識することが常に大切だ」と訴える芹田健太郎さん=神戸市中央区東川崎町

豪雨災害に遭った佐賀県武雄市でボランティア活動を続ける鈴木隆太さん。「阪神・淡路大震災の経験を還元したい」と意気込む

熊本県益城町の初代危機管理監を務める今石佳太さん。「益城町らしい復興を後押ししたい」=熊本県益城町木山

  • 「助け合うことが『当たり前やん』って言える社会にならなければならない」と力を込める村井雅清さん=神戸市兵庫区中道通(撮影・斎藤雅志)
  • 国内外の被災地支援に取り組む曺弘利さん。訪問先の風景をスケッチし、出会った被災者に手渡している=神戸市長田区長田町
  • 「弱き少数者が誰なのかを意識することが常に大切だ」と訴える芹田健太郎さん=神戸市中央区東川崎町
  • 豪雨災害に遭った佐賀県武雄市でボランティア活動を続ける鈴木隆太さん。「阪神・淡路大震災の経験を還元したい」と意気込む
  • 熊本県益城町の初代危機管理監を務める今石佳太さん。「益城町らしい復興を後押ししたい」=熊本県益城町木山

「助け合うことが『当たり前やん』って言える社会にならなければならない」と力を込める村井雅清さん=神戸市兵庫区中道通(撮影・斎藤雅志) 国内外の被災地支援に取り組む曺弘利さん。訪問先の風景をスケッチし、出会った被災者に手渡している=神戸市長田区長田町 「弱き少数者が誰なのかを意識することが常に大切だ」と訴える芹田健太郎さん=神戸市中央区東川崎町 豪雨災害に遭った佐賀県武雄市でボランティア活動を続ける鈴木隆太さん。「阪神・淡路大震災の経験を還元したい」と意気込む 熊本県益城町の初代危機管理監を務める今石佳太さん。「益城町らしい復興を後押ししたい」=熊本県益城町木山

「助け合うことが『当たり前やん』って言える社会にならなければならない」と力を込める村井雅清さん=神戸市兵庫区中道通(撮影・斎藤雅志)

国内外の被災地支援に取り組む曺弘利さん。訪問先の風景をスケッチし、出会った被災者に手渡している=神戸市長田区長田町

「弱き少数者が誰なのかを意識することが常に大切だ」と訴える芹田健太郎さん=神戸市中央区東川崎町

豪雨災害に遭った佐賀県武雄市でボランティア活動を続ける鈴木隆太さん。「阪神・淡路大震災の経験を還元したい」と意気込む

熊本県益城町の初代危機管理監を務める今石佳太さん。「益城町らしい復興を後押ししたい」=熊本県益城町木山

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 ひと声掛けると、みんなが集まってきた。2015年9月、関東・東北豪雨。惨状を呈する茨城県常総市に、神戸市長田区の建築士、曺弘利(チョホンリ)(66)とともに、新潟県中越地震や東日本大震災の被災者たちの姿があった。

 同月9、10日に降り続いた雨で常総市の鬼怒川が決壊し、市域の3分の1に当たる40平方キロメートルが浸水。住宅5千棟超が全半壊し、床上・床下浸水は3千棟超に上った。

 「何かせなあかん」。曺は神戸・長田の丸五市場で鶏15羽を調達。車に積み、数日後に常総市に入った。新潟県旧山古志村(現・長岡市)から持ち込まれたコシヒカリ60キロでつくったおにぎりと、福島県南相馬市からの特産漬物を、鶏でつくったサムゲタンに添えて振る舞った。「コンビニ弁当ばかりだったから助かるわ」。女性の顔がほころんだ。

 阪神・淡路大震災で神戸市須磨区常盤町にあった曺の事務所は全焼した。家族は無事で、救助活動や住宅再建の無料相談に奔走した。仕事が軌道に乗らず借金は膨らんだが、02年のイラン北西部地震や04年の中越地震などの支援に駆け付けた。常総市に集まったのは、訪れた被災地で出会った仲間たち。「恩返しせなあかんからね」。被災地支援はライフワークになった。

 被災地と次の被災地をつなぐ。災害ボランティアの妙味がそこにあるというのは、阪神・淡路大震災を機に発足した復興支援団体「被災地NGO恊働センター」代表の頼政(よりまさ)良太(31)。被災の痛みを知る被災者の励ましは心に染みる。復興における成功も失敗も経験しているから、伝える教訓に実感が伴う。「新たな交流が被災者を変えていくのを見ると、こちらにも大きな喜びがある」

 神戸大のボランティア団体「神戸大学学生震災救援隊」で赴いた07年3月の能登半島地震を皮切りに、訪れた被災地は20カ所以上。熊本地震の熊本県西原村に中越地震の旧山古志村住民を招き、西日本豪雨の広島県には熊本地震の被災者を連れていった。「長い復興の道のりで、力になってくれるのは顔を合わせた人たち」と考えるからだ。

 頼政は被災者に足湯を施す。ボランティアを始めて間もなくは、その意味や効果に半信半疑だったが、手足をもみながらの会話に、心の距離が縮まっていくのを実感した。「実は家が半壊で」「一部損壊だから仮設住宅に入れない」。回を重ねるうちに胸の内を明かしてくれる。「被災者一人一人の声に耳を傾ける大切さを知った」。今では被災者支援に欠かせないと信じている。

 誰が「最後の一人」を救うのか。

 多数者が優先される現代社会において、少数者は常に弱い立場に置かれる。行政が「最大多数の最大幸福」を追求する時、必ずこぼれ落ちる人が生まれる。災害に当てはめれば高齢者や障害者、外国人、低所得者ら。支援の枠組みから漏れやすく、自ら声を上げにくい。

 「NGOが声なき声の代弁者であるべきだ」。国際法学者の神戸大名誉教授芹田健太郎(78)は力説する。

 02年、NGO「CODE海外災害援助市民センター」を発足させ、昨年まで初代代表理事を務めた。前身の「地元NGO救援連絡会議」は世界で災害が起きるたびに救援委員会を立ち上げていたが、常設の機関による海外の被災地支援を掲げた。

 「災害で困窮する人を助ける上で国籍や国境は問題ではない」。芹田の言葉に導かれるように、CODE事務局長の吉椿雅道(52)は実践の現場に身を投じる。

 08年5月に発生した中国・四川大地震は死者・行方不明者が8万7千人に上った。吉椿は支援の手が乏しい地域を探し回り、省都・成都から車で約3時間かかる辺境の光明村に行き着く。人口700人の村は、家屋の8割が全半壊していた。

 住民の反日感情は強く、当初は接触を避けられた。黙々とがれき撤去に汗を流す日々を重ねる中で、嫌悪感がむき出しだった住民が「実はわが家も大変なんだ。手伝ってくれないか」と訴えてきた。次第に住民との信頼関係が築かれ、耐震性のある木造建築による住宅再建を提案すると受け入れられた。住民の交流拠点となる「老年活動センター」の整備にもこぎ着けた。

 「一人一人の住民と顔を突き合わせていると、誤解や偏見にとらわれない関係にたどり着いた」。東日本大震災が起きると、光明村の住民は36万円の義援金を集めた。日雇い労働で稼げる現金はわずか500円。破格の金額は、被災地同士が国境を超えて結ばれた証しだった。

 阪神・淡路大震災と中越地震で、被災地NGO恊働センタースタッフとしてボランティアに汗を流した鈴木隆太(44)。いま住んでいる佐賀県武雄市で昨年8月、豪雨被害に遭った。

 ボランティアの受け入れ窓口を担う地元社会福祉協議会とは別に、鈴木は民間窓口として「おもやいボランティアセンター」を開設した。「ボランティアは全て受け入れる」。泥かきや後片付けに人手がいくらあっても足りないが、災害対応に不慣れな社協が受け入れを制限する事態を目にしてきたからだ。

 「ボランティアが拠点を構えていることが地域の安心感につながる」。培ってきた経験を地域に還元し、被災者とともに復興を目指す。

 東日本大震災での津波で600人以上が犠牲になった宮城県山元町。そこには13年2月に神戸市から移住した都市計画コンサルタントの橋本大樹(ともき)(37)の姿がある。

 被害が大きかった沿岸集落の内陸への集団移転で新旧住民が対立したときは、イベントなどで融和に奔走した。住民を細かく回って地域の課題を引き出し、行政との橋渡し役を担ってきた。阪神・淡路の復興まちづくりを支えた神戸まちづくり研究所理事長の野崎隆一(76)の教えを胸に「阪神・淡路の事例を教えるのではなく、経験を生かして住民と一緒にまちを創り上げたい」と意気盛んだ。

 「被災地責任」は行政の分野にも息づく。16年4月の熊本地震で甚大な被害が出た熊本県益城町(ましきまち)。初動対応の遅れで混乱が生じたことを教訓に、初代「危機管理監」を阪神・淡路の地から迎えた。

 2年前に芦屋市から出向した今石佳太(63)。地域防災計画の改定や受援計画の整備などを手掛け、抜き打ちの参集訓練も導入。町の防災力向上を先導する。

 25年前、芦屋市消防本部職員として救助活動に駆け回った。苦い思い出がある。救出を依頼された人は既に息がなかった。「生存者を優先する」。今石の言葉を聞いた遺族は「一生恨んでやる」と叫んだ-。

 人と防災未来センターの自治体研修職員1期生として実践力を学んだ。各地の自治体の初動対応は相変わらずだと感じる。批判するのは簡単だが、「教訓を伝える努力が足りなかった」とも思う。「『まさか私たちのまちで…』と言わせない。阪神・淡路を経験した私たちがしっかりと訴えていく必要がある」=敬称略=

(金 旻革、竹本拓也)

2020/3/7

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