陸上自衛隊に派遣が要請される2時間ほど前の午前8時10分。兵庫県と陸上自衛隊との間で電話によるやりとりがあった。
「被害の状況はどうか」。自衛隊からの問い掛けに、県消防交通安全課防災係長だった野口一行(68)は「不明だが、やがて(派遣を)お願いすることになる。県庁5階に対策本部を置いた」と応じている。
ここまでだった。実際の派遣要請には、被災状況をつかむことが欠かせない。その上で、当時の自衛隊法では、希望する人員や必要な派遣期間などの詳細な手続きが必要だった。だが、県が市町に問い合わせても「被害は出ているが全容は不明」との答えが返ってくるばかり。午前10時の派遣要請は自衛隊側に「この連絡をもって災害派遣要請としてよろしいか」と促された結果だった。
兵庫県知事だった貝原俊民=2014年死去=はいわば超法規的に、このやりとりを事後了承している。後に自著で「災害時の情報通信・情報収集システムが決定的に弱かった」と述懐する。県庁は機能不全に陥っていた。
「しっかりせぇ!」「県警本部で無線を借りてこい!」
窓ガラスが割れ、カーテンが寒風ではためいていた。午前8時半ごろに始まった県災害対策本部の初会合。鬼気迫る貝原の怒号に、広報課の女性嘱託職員はメモを取る手が動かず、別の職員も脚立の上で構えたカメラのシャッターを切れなかった。
会合は報道機関に非公開。「当時の写真や映像は残っていないだろう」。県広報課員として会合に出たひょうごボランタリープラザ所長の高橋守雄(71)は災対本部の混乱を証言する。県庁2号館は配水管が破損して1階が水浸しになり、避難した市民は別棟に身を寄せていた。
災対本部員となる県幹部21人のうち、参集したのは5人のみ。職員の姿が全くない部署もあった。総務部長の梶田信一郎はその夜、各地の県民局などに職員の登庁を促すファクスを送る。高橋は「指揮役の部長がやる業務ではない。危機管理が根付いていなかった」と振り返る。
電話は通じず、停電で無線機もほとんど使い物にならなかった。災対本部はトランジスタラジオの情報を頼りに、被害の把握を急いだ。
神戸新聞社会長で当時県庁担当記者だった高士薫(66)はこの日、災対本部の扉を開け、息をのむ。そこには一人、ぽつねんとラジオに耳を傾ける貝原の姿があった。
◇
貝原がいた知事公舎に真っ先に着いたのは、秘書課長だった神戸山手大学長の斎藤富雄(74)。早朝から東京に向かうため午前5時半に起床。16分後、揺れに見舞われる。
自宅があった神戸市東灘区魚崎北町は激震地で、周辺の家屋は軒並み1階部分がつぶれた。「火の手が迫り、家族を守ることで頭がいっぱいだった」。県職員として動かなければ-。斎藤が冷静さを取り戻したのは午前7時ごろ。自転車にまたがり、30分かけて公舎に到着した。
斎藤が「一生の不覚」と胸に刻むことがある。貝原から別の職員がマイカーで迎えに来ることになっていると聞いた斎藤は、自宅周辺の被災状況を説明し「帰っていいですか」と尋ねた。貝原はうなずいた。責めることはなかった。
「心構えが全くなっていなかった」。斎藤は悔いる。翌18日から、県庁に100日間泊まり込んで災害対応に当たる貝原に仕えた。翌春、あらゆる危機管理を専従統括する全国初のポスト「防災監」に就き、職員の行動マニュアル作りに奔走。各地の被災地に足を運び、震災の教訓を伝えた。自治体の職員研修では、避難所運営の在り方などで被災者の視点に立つことが、危機管理で効果を発揮すると語り続ける。
「どんな災害も自治体がしっかりしなければならない。政府の支援は確かにあるが、被災者まで手を差し伸べられるのは自治体。震災の反省を伝え続けないといけない」
◇
被災地から遠く離れ、現場の状況を知らない国の初動は鈍かった。
当時の首相村山富市と官房長官の五十嵐広三(故人)は、震災発生をテレビで知った。村山が首相官邸に入ったのは発生から2時間40分後。側近の秘書官は誰もいなかった。
自治省(現総務省)幹部だった元法務相の滝実(たきまこと)(81)も自宅のラジオで一報を知り、テレビで街が燃えるのを見た。「今日の辞令は取りやめだな」。約1週間前、滝には消防庁長官就任の内示が出ていた。辞令交付日は1月17日。長官就任はなくなったと考えたが、自治相の野中広務(故人)から陣頭指揮を託された。
引き継ぎもないままヘリコプターで大阪(伊丹)空港へ向かった。「被害の情報が入らなかった。とにかく現場へ急いだ」。午後3時すぎ、空港で官邸に連絡を入れると五十嵐がいら立った様子で「空から水をまけ」と指示を飛ばしてきた。
滝は断った。奈良県副知事時代に起きた県有林火災で空中消火を試みた経験があり、広範囲に及ぶ火災では水が霧散して効果がないことが分かっていたからだ。「空中消火の様子を発信して国の取り組みをアピールしたかったのだろう」。初動の遅れを取り戻そうと躍起になる政府の姿が垣間見えた。
滝はヘリで被災地上空へ。想像以上の被害だった。神戸市北区にあった兵庫県消防学校に到着し、市消防局幹部から海水を使って「今晩中には火を抑えられる」と説明を受けた。一方、海水を引き込むために延長した消防ホースが次々に破損する事態が多発していることを知る。
「千本くらいのホースが駄目になった」。神戸市消防局長田消防署の中隊長だった鍵本敦(57)は同市長田区の菅原通や御蔵通に駆け付けたが、猛烈な火勢で手が付けられなかった。夜に転戦したJR新長田駅北では、同区水笠通から須磨区常盤町までの13万平方メートル、阪神甲子園球場3・3個分の広さが燃えた。あまりの熱量で消防車の外装が溶けた。
断水で消火栓が機能せず、防火水槽も壊れた。ホースを延ばして海や川から水をひいたが、車に踏まれた影響で水圧が下がって使い物にならず、何度も交換を余儀なくされた。
「普段は市内にくまなく設けられた消火栓に頼っていたことが裏目に出た」と鍵本。神戸市の消防には水2トン程度を積めるタンク車しかなかったが、各地から応援に来た10トンタンク車が威力を発揮した。火災現場と港を何度も往復して海水を運んだ。「地元自治体の力量が災害初期に住民の生死を分けることをまざまざと見せつけられた」。半年後、神戸市内全11消防署に10トン車が配備される。鍵本は現在、災害から市民の命を守る消防・救助部隊のトップ、警防部長を務め、後輩たちにあの時の失敗を伝え続けている。=敬称略=
(金 旻革、竹本拓也)
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