ひび割れた壁が、余震のたびにきしむ。1995年1月17日、神戸市灘区神ノ木通4の金沢病院。けがをした近隣住民が早朝から大挙した。
骨折、打撲、ねんざ。「助けてください」と叫ぶ若い女性は、バスタオルにくるんだ乳児を腕に抱える。息はない。中学生ほどの少女は内臓に損傷の恐れ。がれきで体が長時間圧迫されたことに起因する「クラッシュ症候群」も続発した。
震度7の激震地帯。病院から約1キロ東のJR六甲道駅周辺は、木造の老朽家屋が押しつぶされ、火の海に包まれた。
エレベーターは停電で動かない。担架や畳、戸板で医師や看護師が患者を移動させた。何よりもエックス線などの検査機器が使用不能に陥り、診察も治療もままならなかった。乳児の意識は戻らず、少女は翌日に息を引き取った。
医師7人で患者1033人。医師1人当たりの診察数は147・6人に上り、被災地の医療機関で最多。野戦病院だった。
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阪神・淡路大震災で「防ぎ得た災害死」は500人を超えたと推計されている。犠牲者全体の約8%。病院4施設と診療所101カ所が全壊、または全焼した。他の医療機関もライフラインの寸断で手術などの医療行為が阻まれ、医薬品の備蓄も不十分だった。平時と等しく治療できる備えは乏しかった。
「病院間で互いの状況を把握する方法はなかった」。兵庫県災害医療センター長の中山伸一(65)は当時、神戸大病院救急部副部長。派遣先だった同市垂水区の病院で揺れに遭い、発生から半日後に神大病院へ車で戻った。通常の10倍の医師112人で非常態勢を組み、患者363人の診察に臨んだ。医師1人当たりの診察数は3・24人で被災地最少。中山は「他の病院が大変と分かっていれば、応援を出せたはずだ」と振り返る。
これらの反省を基に医療機関による情報共有の重要性が叫ばれた結果、国は「広域災害救急医療情報システム(EMIS)」を整備する。病院をネットワークでつなぎ、「倒壊の恐れあり」や「ライフライン使用不可」などの被災程度や患者の受け入れ可否情報を相互に把握できる体制が構築された。
また国は、2005年にDMAT(災害派遣医療チーム)を発足させた。医師と看護師、業務調整員らのチームは被災地の医療機関に緊急参集し、48時間以内に救急活動を開始する。現在は全国に約1700チームまで拡大している。
東日本大震災では、岩手県の花巻空港に広域搬送拠点臨時医療施設(SCU)が設けられ、中山が指揮官となってトリアージを実施。運ばれてきた患者136人のうち重症の16人を自衛隊ヘリで被災地外に搬送した。
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命の現場からの問い掛けは、心の領域にも及んだ。
「あっち行って!」。精神科医と分かった瞬間、厄介払いされた。神戸市中央区の兵庫県こころのケアセンター長の加藤寛(61)。95年2月、出向いた避難所でうろたえることになる。
診察室を訪れる患者の苦悩は手に取るように分かった。だが避難所では、多くが胸襟を開かなかった。その後長い歳月をかけて被災者を苦しめる心的外傷後ストレス障害(PTSD)のことも当時は分からなかった。=敬称略=
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