「神戸には元来、市民が市民を支える土壌があった」-。阪神・淡路大震災で市民の力が注目されることになった理由を、兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長の室崎益輝(よしてる)(75)が分析する。その象徴として挙げるのが、社会活動家の賀川豊彦(1888~1960年)だ。
賀川は神戸市中央区のスラム街で暮らし、キリスト教の伝道や貧困救援活動に従事した。関東大震災では被災地支援に入り、労働争議や平和運動などにも尽力。1921(大正10)年には「コープこうべ」の前身の設立に関わった。
営利を超え、課題解決のために手を携える。「生協運動」と呼ばれる社会運動に宿る助け合いの精神は、震災の支援でも発揮される。
中間支援や起業支援などを担う「宝塚NPOセンター」理事長の中山光子(59)は、20年前にコープでのパート勤務がきっかけで市民活動の世界に足を踏み入れた。震災1年後に夫の転勤で関東から宝塚市へ移住。震災は縁遠く「ボランティアは偽善」とさえ思っていた。
コープの組合員でつくるサークル活動で、中山は災害救援基金を担当する。国内外で大災害が起きれば募金箱を手に店頭に立った。次第に震災を知らない後ろめたさを覚え、被災者の体験談を聞くサークルにも足を運ぶ。被災地NGO恊働センター顧問の村井雅清(69)や、国際法学者で神戸大名誉教授の芹田健太郎(79)と出会い、ボランティアに対する認識が百八十度変わった。
2009年春、森綾子=11年死去=が設立した宝塚NPOセンターに加入。交流カフェの運営や地元婦人会と連携した夏まつりの企画など、地域との協働を重視してきた。中山は「地域の幸せは一人一人の幸せの先にある。社会貢献に意欲的な個人を応援したい」と意気盛んだ。
阪神・淡路で高まった市民社会の機運。多くの活動の原点が仮設住宅での助け合いから生まれた。
認定NPO法人「コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)」理事長の中村順子(73)。当時は、CS神戸の前身「東灘・地域助け合いネットワーク」を設立し、被災者支援に携わっていた。神戸市東灘区の仮設住宅に入居した被災者から何度も受けた質問がある。「私、今どこにいるんですか?」。入居者は同市兵庫、長田区出身が多かった。土地勘がなく、薬局や銀行の場所が分からない。中村は、仮設住宅周辺の店舗を地図などにし、配布した。
次に気づいたのは、被災で職を失った悩みだった。中村は入居者の得意分野ごとにグループをつくった。自転車店や大工によるリサイクルチーム、運転手たちの通院介助移送サービス、手芸の集まり…。被災者の表情に明るさが戻っていった。
「役割の創出が明日へのエネルギーを生む。それを震災から学んだ」。その経験がCS神戸を、NPOの設立や運営を助ける「中間支援組織」に発展させ、市民活動を担うリーダー育成の草分けにした。
市民団体の厳しい台所事情を救おうと、99年には、寄付を集めて団体に助成する団体が全国で初めて設立された。神戸市中央区の認定NPO法人「しみん基金・KOBE」。初代理事長には、阪神高齢者・障害者支援ネットワーク代表の黒田裕子(故人)が就いた。これまでに延べ199団体、計約6900万円を助成。事務局長の江口聰(57)は「団体の自立には、市民活動を応援し合う文化の醸成が欠かせない」とする。
「しみん基金-」の母体は、日本財団が震災後に設立した「阪神・淡路コミュニティ基金」(99年解散)。仮設住宅の訪問活動などに取り組む団体に助成してきた。代表を務めた今田忠(まこと)=17年死去=は「NPOの存在価値はサービスとボイス」を信条とした。困っている人に手を差し伸べ、少数者の声を社会に届けることがNPOの役割と説いた。
13年に発足した公益財団法人「ひょうごコミュニティ財団」は今田の理念に共鳴し、ドメスティックバイオレンス(DV)や性暴力の被害者支援、子どもの虐待などの支援団体に助成を行う。原資は個人の遺産が中心。代表理事の実吉威(たけし)(54)も長らく被災者支援に関わった経験があり「弱者が『世の中に迷惑をかけている』と思い悩む社会であってはならない」と訴える。
神戸市灘区の公益財団法人「神戸学生青年センター」は、被災で家屋が全半壊した留学生に資金援助した。寄付を原資に1人3万円、767人に配った。96年4月には、寄付の残額で「六甲奨学基金」を立ち上げた。毎年、主にアジアからの留学生5人に月5万円を支給する。基金には古本市の売り上げを充当。理事長の飛田雄一(69)は「震災で寄せられた善意への恩返しだ」と話す。
市民社会の種は、震災遺児支援でも大きく芽吹いた。神戸市東灘区で99年に開設された震災遺児支援施設「神戸レインボーハウス」だ。
東京に本部を置く「あしなが育英会」職員の八木俊介(としゆき)(50)は震災2週間後に被災地入り。新聞記事の死亡者名簿と電話帳を頼りに遺児を捜し歩いた。大学生ら延べ千人のボランティアとともに1年かけて573人の遺児を確認した。
震災の年の夏、父と妹を亡くした小学5年の「かっちゃん」が黒い虹の絵を描いた。兵庫県香住町(当時)で遺児を連れて海水浴に行った時だった。別の遺児は作文に「死んでも構わない」と書いていた。
「このまま東京には帰れない」。遺児は親を亡くしたことを周囲に語らず、悲しみや苦しみを抱え込んでいた。一人じゃない-。そう実感できる「場」が、レインボーハウスの役目だった。建設費約15億円は全て寄付で賄われた。
「遺児が人の愛情とつながりを感じられる場所が必要だった」。開設から21年、遺児は全員成人した。八木も東京の育英会本部への異動で神戸を離れたが、遺児を忘れたことは片時もない。「つらい経験を乗り越えた子もいれば、乗り越えられないままの子もいる。心の傷は大きいことを理解してあげないといけない」
苦難を抱える人に寄り添う。それは市民社会の底流にあり、根幹を成している。震災復興に携わったまちづくりコンサルタントらでつくる「神戸復興塾」で塾長を務めた小森星児(84)は、9年前の東日本大震災直後に「3・11支援集会」を立ち上げ、今も2カ月に1回の会合を続ける。「人間は弱い。だから失敗を繰り返す。でも、だからこそ仲間として支え合うことが大切だ」=敬称略=
(金 旻革、竹本拓也)
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