「どうか、ゆっくりまちを建て直してください」
1995年3月14日、神戸市都市計画審議会。市が示した土地区画整理事業と市街地再開発事業の都市計画案が審議されていた。
住民側5人の意見陳述。持ち時間は1人3分。神戸市東灘区森南町2の大川真平(64)は懇願した。
市役所前には、プラカードに「まちづくりは、住民の手で!」などと書いた被災者らが集まっていた。誰かが声を上げる。「上へ行こう、上へ」。住民たちは審議会が開かれるフロアを目指して駆けだした。市は傍聴を拒否。審議会室前では、スクラムを組んでバリケードをつくる職員と住民がもみ合いになった。
しかし懇願は受け入れられなかった。住民への説明不足を理由に計画案への反対や延期を主張する委員もいたが、賛成多数で原案通り可決。兵庫県都市計画地方審議会を経て、3日後に都市計画決定がなされた。
都市計画を専門とする神戸大名誉教授(当時、神戸大助教授)の塩崎賢明(よしみつ)(72)は住民たちの中にいた。「住民と事前に折衝しようという意思が感じられず頭にきた」。みんな怒りをぶちまけていた。
森南地区にある大川の自宅と経営するガソリンスタンドはともに半壊だったが、周辺の家屋は軒並み倒壊。多数の犠牲者が出た。JR神戸線の線路沿いにある森公園にはテント村ができ、多い時で約350人が避難生活を送っていた。なのに、住民のあずかり知らないところで、次のまちの姿が既に決まっていた。
さらに森南では戦後、戦災復興に伴う区画整理が一度実施されていた。事業区域内で地権者が土地を少しずつ提供し合う「減歩」を経験し、道路や公園などが整備されていた。「この姿でよしとされたまちで、再び区画整理をやる必要があるのか分からなかった」。森南町1の建設業、山本豊三(68)は振り返る。
幅17メートルの防災道路を住宅街に整備する-。「先々の不安を抱えながら暮らしているのに、そんな計画を持ち出されてつらかった」
市のまちづくり案が住民に示されたのは2月22日。住民は2日後、急ごしらえで「森南町・本山中町まちづくり協議会」を結成し、計画見直しを求める陳情書と住民署名を市に提出した。反対署名は2080人分。地域住民の3分の2に上った。
これだけの混乱があっても「3・17都市計画決定」は強行され、区画整理事業は行われた。兵庫県知事の貝原俊民(故人)が都市計画決定時に示した「2段階方式」を受け、市は住民側との協議で森南の17メートル道路を撤回した。しかし、まち協事務局員だった大川は「2段階と言っても、最初の枠組みは押し付けられた。地域の事情を考慮せずになぜ都市計画決定を急いだのか」との疑念は消えない。
「神戸市は、震災を都市開発の千載一遇のチャンスと捉えたのではないか」。神戸市と県の審議会で反対陳述をした「兵庫県震災復興研究センター」(神戸市長田区)事務局長の出口俊一(71)はそう批判する。
区画整理と再開発の対象区域は戦災を免れ、戦災復興事業の網から外れた密集市街地だった。住宅や商店が混在し、建物の老朽化が目立つ。権利関係が複雑で対策が後手に回っていた。そこに震災が起きた。
住民と調整を図らないまま都市計画決定を急いだことに、戦災復興の旗手で名をはせた神戸市の自負が垣間見える。「時間のかかるプロセスを一気にやれると考えたのだろう」
神戸市は震災直後から復興まちづくりに動きだしていた。
1月18日、私服姿の職員が人目を避けるように激震地を歩いていた。被災地の死者・行方不明者は4千人を超え、がれきの中から人々の救出活動が続くころだった。
市職員の作業要領を記す手書きの内部文書がある。「カメラは持たない」「救援依頼があっても無視して作業せざるを得ない」「市民感情をさかなでしない言動をとること」…。延べ約300人の職員が被災地に散らばり、倒壊・焼失した建物の数や範囲を手集計していった。
被災状況地図が完成したのは20日午前3時ごろ。わずか2日間で仕上げた。内部文書には「焼失面積、倒壊棟数も多すぎる。プレス発表した時、再度混乱が生ずる」の文字。都市計画案の作成と公表にちゅうちょする職員の心情がうかがえる。
それから半日後。市都市計画局長だった鶴来紘一は、建設省(現国土交通省)の区画整理課長、小沢一郎と市役所で協議に臨んだ。
「人手も時間も足りなくて復興がやれない。新法を考えてほしい」。鶴来の脳裏には、無秩序に住宅や店舗が再建された戦後の光景があった。まずは建築基準法84条に基づく建築制限の網を掛ける。適用期間は最長2カ月。3月17日までだ。まちづくり案を決めて都市計画決定にこぎ着けるには、無謀に思えた。
だが、小沢は首を横に振る。「期限を延ばすことはできない。酒田の大火の事例を参考にすべきだ」
数日後、神戸市職員らが神戸大教授だった室崎益輝(よしてる)(75)=兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長=の研究室を訪れる。開口一番「国から室崎先生なら酒田の復興計画の資料を持っていると聞きました」。職員らは段ボール1箱分の資料を抱え、走り去った。
1976年10月に山形県酒田市の市街地22・5ヘクタールが焼失した。被災地は建築制限の2カ月で区画整理の都市計画決定を終える。建設省主導で行われ、当時京都大助手だった室崎は復興計画づくりに参加していた。
平時の法制度の枠組みで非常事態を乗り切った。酒田の事例は国にとっての「成功体験」。神戸市に酒田を見習うことを求めた。
神戸市は、都市計画決定までの期限を建築制限の2カ月と定めて作業を急ぐ。1月25日にはまちづくり案の大枠を固め、31日に復興の基本方針を発表。同時に対象区域の建築制限を指定する。
一方で2月下旬には、被災市街地復興特別措置法が成立し、神戸市が当初求めた建築制限の延長が実現。最長2年となった。これで都市計画決定も猶予されたはずだったが、神戸市はあくまで2カ月後の都市計画決定を目指す。鶴来は後の取材に「今さら延長しても混乱を招く。一日でも早く、被災者に復興への道筋を示すべきだった」と話している。
室崎は「酒田の復興の教訓は行政が性急に事業を推し進めることではない」と話す。酒田では大火の約1週間後に区画整理案が住民に示された。そこから市職員が戸別訪問し、審議会を何十回と繰り返して住民の合意形成に力を入れた。「神戸市が重視すべきだったのは、住民と丁寧に協議を重ねるプロセスだった」
その上で「事前復興」の重要性を説く。「行政と住民、住民同士がどんな街にしたいかというコミュニケーションと合意形成を図ることが必要だ。さらにそれを災害前、平時のうちに地域主体で実行してこそ、災害に強い街になる」=敬称略=(金 旻革、竹本拓也)
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