尼崎市内でコンビニエンスストアを経営する木村文廣(64)は、25年前まで薬局を営んでいた。3階建ての自宅兼店舗があった場所は神戸市長田区御蔵通5。阪神・淡路大震災で8割の建物が焼失し、復興土地区画整理事業の網がかかった御菅西地区の一角だ。
激震の後、着の身着のまま逃げ出した。崩れた文化住宅で住民を助けようとしたが、一帯に火の手が回り、家と店は焼け落ちた。
ボランティアの手を借り、震災後まもなく自宅跡にプレハブ店舗を再建。だが、焼け野原に人はいなかった。栄養ドリンクを大量に納入していた得意先は被災し、売り上げがない日々が1年以上続いた。多くの住民は郊外に建てられた仮設住宅に移り、商売が成り立たなかった。
2年が過ぎて土地を神戸市に売却。同市西区に移ってコンビニを始めた。4年前からは尼崎市で店を構え直した。人手不足の中、週5日は夜勤に入る日々。「震災までの人生は順風満帆だった」。生活に追われる現状に疲れの色を隠せない。「生まれ育った町を離れたくなかった」
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4万8千戸以上の仮設住宅は、多くが元の生活圏から離れていた。住民同士が顔を突き合わせて話し合いをできる状況ではなかった。
「会合を開いてもなかなか人が集まらなかった」。御菅西地区のまちづくり協議会(まち協)会長を務めた田中保三(79)は振り返る。週1、2回の集まりに、参加者は10人程度。多くの住民が神戸市西区や姫路市などの仮設にいた。まち協は餅つきや夏祭りなどを企画。仮設まで観光バスを手配したこともあった。
しかし、公園や道路などの整備方針に関するまち協側の「まちづくり提案」を神戸市に提出できたのは、震災から1年半以上が経過した96年9月。地区内の復興住宅2棟(計94戸)は震災4年後まで完成が遅れ、住民は待ちきれずに地区外の公営住宅を選んだ。震災前は164戸に暮らした借家人のうち、地区に戻れたのは1割だけだった。
まちづくり支援団体「まち・コミュニケーション」代表理事の宮定章(44)は2000年ごろ、更地が広がる地区の支援活動に加わった。被災者への聞き取りで、返ってきた言葉は「家を建てる資金がない」「元の喫茶店を再開しても採算性がない」という諦めだった。「暮らしを取り戻せない住民を置き去りのままでまちを創ると言えるのか」
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「災害は弱者をふるいにかける」。震災から10年にわたって被災地の定点調査「街の復興カルテ」に取り組んだ大阪大名誉教授の鳴海邦碩(くにひろ)(75)は指摘する。「元の暮らしに戻ることを支援する制度はなく、資金がなければ住まいを追われた」
まちらしさを失わない手だてを、普段から考える必要がある-。復興は誰のためなのか。巨大再開発事業の長期化と、まちのにぎわいが戻らない状況が四半世紀続く新長田駅南地区(神戸市長田区)で、商売人たちは苦難の道のりを歩んできた。
「神戸市を信用しきっていた」。横川昌和(58)は、アスタくにづか4番館にある創業70年のうどん店「七福」の店主だ。震災で同区久保町6の店舗は全焼。仮の店舗で営業を再開し、03年に再開発ビルに入居した。生まれ変わったまちに胸を躍らせたが、売り上げは震災前の4分の1。再開発ビルには空き床が目立ち、買い物客の姿も震災前には戻っていない。その上、高い共益費と固定資産税が重荷となってのしかかる。「震災そのものより、今が大変」と横川。借金が残る。店を続けられるか不安にさいなまれる。「『復興災害』ですよ」。ため息は深い。
同地区で17年前までそば店を切り盛りした中村専一(80)は、再開発という大型投資がバブル崩壊後の経済情勢に合わないと反対した。だが、勉強会に住民は集まらなかった。
自宅も店も全焼した。店は震災前年に改装したばかりだった。「再開発に巻き込まれたら、死ぬまで借金を背負う」。03年にプレハブ店舗をたたみ、西宮市へ転居した。本心では40年暮らしたまちを離れたくはなかった。時折、長田のまちを歩く。顔なじみの姿は見かけなくなった。
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住民の合意形成は苦難の連続だ。だが、まちをつくり直す労苦を乗り越えた先に「共助」が実を結び、復興まちづくりの遺産となった。
9年前に区画整理事業が完了した新長田駅北地区(神戸市長田区)。09年に完成した水笠通公園(約1ヘクタール)から沿道へ約500メートルにわたって流れる「せせらぎ」は、震災による大火の教訓から「水を絶やさないまち」を目指して整備された。
だが、住民はもろ手を挙げて賛成したわけではなかった。「必要あるのか」「掃除が手間だ」。東部まちづくり協議会連合会長だった野村勝(81)からの提案に、反対の署名運動も起きた。消防士だった野村は震災当日、防火水槽の損傷で水を調達できない経験をした。まち協の会合で机をたたいて訴えた。「大変な思いをした」。悔しさを分かち合うことで一定の理解が生まれた。
良いまちをつくる思いを住民間で共有する中、快適な住環境を整えるためのアイデアも生まれた。家の屋根を道路側に傾斜させ、玄関前は門扉を設けないなどの自主ルール「いえなみ基準」を同地区東部で導入した。下町の親しみやすさを実現し、防犯・防災の観点を重視した取り組みは、先進的なまちづくりと評された。野村は「行政主導で始まったまちづくりだったが、最終的に住民主導でやれた」と自負する。
「まちづくりは対立ではなく対話で道が開ける」。中島克元(64)は区画整理が行われた同市兵庫区・松本地区のまち協会長だった。焼けたまちに、住民たちの意見を取り入れた約640メートルの「せせらぎ」を整備。新潟県中越地震の被災地から贈られたニシキゴイが泳ぎ、憩いの場と防火対策の二つの顔を併せ持つ。
同地区創業のオリバーソース(神戸市中央区)が区画整理に協力して移転し、100トンの貯水槽を備えた防災公園が実現した。社長の道満雅彦(67)は「費用面で移転は容易でなかったが、地域の復興のために決断した」と述懐する。
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阪神・淡路でのまちづくり支援を経験し、そして東日本大震災の現場にも駆け付けた神戸まちづくり研究所理事長の野崎隆一(76)は「対話とコミュニティー維持の重要性を肌身で感じた」と語る。東日本の津波被害に遭った宮城県気仙沼市の小集落で住民と行政を仲立ちし、高台移転後のまちの在り方を議論する場を提供した。当初計画は復興住宅と自力再建向け用地の高台が離れていたが、同じ高台に整備するよう行政が方針変更。集落のつながりが保たれた。「まちづくりは住民が主人公。住民がひざを突き合わせ、知恵を出し合うことで災害を乗り越えることができる」=敬称略=
(金 旻革、竹本拓也)
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