旦旦的廿年(タンタンの20年)
「やってみるか」
1997年の秋、神戸市の建設局長は言った。「え、いいんですか?」。来年度の予算要求で市庁舎を訪ねた王子動物園の副園長、大久保建雄(77)は目を丸くした。「可能な限り支援する」。すぐに助役まで話が通った。
「園の誰もが無理だと思っていたし、私も『こんなときにけしからん』と叱られて帰る心づもりでした」
中国からパンダを借りたい-。「駄目もと」で踏み出した夢の第一歩の記憶を、大久保が懐かしそうに振り返る。
◆
2年前の1月17日、阪神・淡路大震災が神戸の街を襲った。死者6434人、行方不明3人という犠牲者を出した巨大地震の爪痕は色濃く、市民の生活再建も途上だった。
そのころ、当時の園長権藤眞禎(85)は、日本のほかの動物園が中国でパンダ誘致のロビー活動を進めているのを察知した。「このままでは王子はじり貧になる」。危機感が募った。
ジャイアントパンダはワシントン条約で商取引が禁止されているが、和歌山県のアドベンチャーワールドや海外の動物園の事例から、外交の一環であっても、パンダを借りる費用は億単位に上ることが分かっていた。
大久保たちは葛藤した。「生身の人間としてはね、復興にお金がたくさんいるときに、動物園にそんな大金無理やろうと。当然、最優先は市民生活。でも、何の努力もせんと持っていかれたくない、という気持ちも少なからずあったんですね」
足跡だけは残しておこう…。「チャンスをください」と予算要求すると、市の幹部はこう言った。「神戸の子どもたちがきっと喜んでくれるでしょう」。それは復興の弾みにもなるはずだと、背中を押された。突破口が開けた。
そこから、中国語が話せる権藤らが訪中を繰り返し、ワシントン条約を所管する国家林業局に猛アタック。神戸の友好都市で毎年のように動物交換をしていた天津市も全面的にバックアップしてくれた。それには理由があった。
76年、河北省唐山市付近が震源で24万人以上が亡くなったとされる「唐山(とうざん)地震」があり、北京や天津も被災した。このとき、外国人が次々と国外に逃れる中、訪中していた神戸市の建設局幹部らは「復興を一緒にやろう」と、現地に残ったという。だから神戸は「老朋友(ラオ ポンユウ)」。つまり、「古くからの信頼できる友達」なのだと。
「ああいう支援がなかったら、とてもじゃないが実現しなかった」と大久保は感謝する。
さまざまな思いが実を結び、日中共同の飼育繁殖研究という形で交渉がまとまった。
「ぜひ、神戸にふさわしいパンダを選ばせてほしい」。権藤の後任で園長に就いた大久保は99年秋、中国へ向かった。
◆
タンタンは今年3月から、体調管理のため観覧中止が続いています。園によると、食欲や活動量の低下は見られるものの、比較的安定して穏やかに過ごしているそうです。再会できる日を楽しみに、今回から3回にわたりタンタンが来日した前後の出来事を当時の園長に振り返ってもらいます。
=敬称略=(井上太郎)
2022/8/18-
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