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骨董漫遊

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右側の3本が「ベロ藍」で染付された明治以降の三合徳利。左側の3本は「天然呉須」が使われた江戸期の徳利
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右側の3本が「ベロ藍」で染付された明治以降の三合徳利。左側の3本は「天然呉須」が使われた江戸期の徳利

 骨董(こっとう)に魅せられて以来、暇ができると骨董店や骨董市を巡るようになった。

 そんなある日、京都・北野天満宮の「天神市」で出石焼の燗徳利(かんとっくり)を見つけ、買った。首長筒型で「出石の三合徳利」と呼ばれるものだ。化学合成された染付(そめつけ)染料(通称・ベロ藍)で、多くは菊の図柄が描かれている。

 関西の骨董市を巡ると、よく同様の徳利に出合う。売値は2千円から3千円ぐらいで、一つ、また一つと買い求めるようになった。

 出石焼の産地、兵庫県豊岡市は、私の記者時代の赴任地だ。久しぶりの豊岡出張の機会を利用して、かつて取材でお世話になった、地元の郷土史家で出石焼研究家の岡本久彦氏(1923~2009年)を訪ねたことがある。

 出石の三合徳利は、いつ頃から製造が始まったのだろうか。岡本氏は、共著で出版した「但馬のやきもの」(1984年刊)を繰りながら「江戸後期、1830年代でしょう」と言った。

 ただし、江戸後期の三合徳利は、ベロ藍ではなく天然の呉須(ごす)で染付されていた。絵付けが丁寧で、全体にやや青みがかった上品な徳利である。

 岡本氏によると、染料にベロ藍を使うようになったのは明治に入ってからで、昭和10年代後半にかけて大量生産されたそうだ。出石川、円山川を下り、港で大型船に積み込まれ、全国へ運ばれたという。岡本氏は「持ちやすく安定感があり、鉄瓶などでお酒の燗をするには、もってこいの大きさです。それが人気の秘密だったのでは」と語った。

 こんな話もしてくれた。「この徳利、テレビの時代劇に時折、登場するんですよ。水戸黄門や将軍吉宗の時代の居酒屋に、明治以降に大量生産されたベロ藍染付のものがね。ちょっと笑ってしまいます」

 私も再放送の時代劇で、ベロ藍の徳利を何度か「現認」した。燗徳利が普及したのは江戸後期で、例えば黄門様の時代なら、鉄瓶形銚子(ちょうし)を使うのが正しい。

 出石の三合徳利は東北や関東、九州など骨董巡りの旅先で何度も目する機会があった。これぞ日本の「徳利史」の中で最大のヒット商品、と私は確信している。

 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

■メモ

【呉須】コバルト化合物を含む鉱物。粉末を水に溶いて文様を描き、うわぐすりをかけて焼くと藍色に発色する。

【ベロ藍】天然の呉須に対し、化学合成された酸化コバルト。ベルリンから輸入されたため、その名が付いたとされる。安価で、明治時代になって広く使われた。

2020/8/24
 

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