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骨董漫遊

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茨城県石岡市の舟塚山古墳群から出土したとみられる古代刀
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茨城県石岡市の舟塚山古墳群から出土したとみられる古代刀

 京都の骨董(こっとう)祭で手に入れた古代鉄剣は、箱の記述によると茨城県の舟塚山古墳で出土したものらしい。昭和21年3月4日の日付があった。

 測定すると全長76センチ、刃幅は3~5センチだった。文化財保護法制定(昭和25年)以前の出土品なので売り買いは問題がないのだが、銃刀法に抵触しないのだろうか。銃の場合、火縄式銃砲などの古式銃も県の教育委員会に届けなければならない。あれこれ考え、兵庫県教委に電話をした。事情を説明し、登録が必要かを聞くと、あっさり「不要です」と返ってきた。

 さて、舟塚山古墳から出土したことが本当なら、鉄剣は被葬者の副葬品だろう。調べると、舟塚山は茨城県中央部にある5世紀後半ごろ(古墳時代中期)の前方後円墳で、東日本で第2位の規模を誇る古墳だった。被葬者は地元の大豪族と推定されている。

 そういえば、舟塚山古墳から西へ七十数キロ離れた場所に、埼玉県行田市の稲荷山古墳がある。表裏に115文字の金象嵌(ぞうがん)の銘文がある国宝の鉄剣が出土した場所だ。

 舟塚山も稲荷山も、5世紀後半に造られた。稲荷山の被葬者は出土した鉄剣などから、ヤマト王権の有力者説もある。墳丘長は120メートル。これに対し、舟塚山は186メートルで各段に大きい。舟塚山の被葬者もヤマト王権につながる人物だったのだろうか。となると、私の鉄剣にも何か“歴史的な文字”が記されていたりするのではないか。

 インターネットで舟塚山古墳を検索すると、「多数の大刀が出土したとする伝承がある」という記述があった。

 私は地元の石岡市教育委員会に、箱に記された来歴などを伝え、情報を求めることにした。すると、鉄剣の写真を送ってほしいとの返信がきたので、送った。だが、何の音沙汰もない。特段の関心を示さなかったようだ。

 前回の原稿に書いたように、私は最初に買った日本刀で怖い思いをした。あの経験がなかったら、銀色に光る刀を何振りも買うことになっていたかもしれない。少なくともこんな錆(さ)びた古代刀は絶対に買わなかったろう。

 私の手元にやってきたのも何かの縁。日本刀なら刃紋(はもん)を見るなどの「鑑賞法」がある。だが、鉄錆びた刀には、いくら調べてもそれがない。最近の刀剣ブームからも外れた“日陰の身”だ。

 この刀は、誰がどこで原料の鉄を仕入れ、どのようにして所有者に渡ったのか。人を傷付けたことはあったのか。さまざまな疑問と古代への哀愁が湧き上がる。

 ただ、被葬者はなすべきことを成し遂げた人物だと確信している。今のところ恐ろしい体験をせず、怪異な現象も起きていないのだから。

 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

2021/3/22
 

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