骨董漫遊
昭和の末の話である。当時、私は但馬で記者生活を送っていた。担当エリアの一つ、現在の豊岡市日高町の民家を訪れたときのことだ。
家人に離れの縁側に案内された。廊下に古銭が散らばり、元々入っていたと思われる茶色の壺(つぼ)が横倒しになっていた。ついさっきまで子どもらが遊んでいたのだろう。クレヨンで描いた絵が見えた。
そのとき、雲間から太陽がのぞいて縁側に光が差し、古銭の中にキラリと光る銀貨のようなものが交じっているのに気付いた。
目を凝らすと、それは縦2センチ、横1センチほどの薄っぺらな金属片で、表に「但馬」、裏に「南鐐(なんりょう)」の文字が浮き彫りになっていた。その頃の私は、古銭といえば一文銭の銅貨ばかりと思い込んでいた。これも貨幣なのだろうか。
奥から現れた年老いた主人が言った。「生野銀山で働いていた先祖が、太閤(たいこう)秀吉から褒美としてもらった銀貨だと聞いている。壺の底には50枚はあろう。よかったら、何枚か持って帰るか」。私は何だか、子どものおもちゃを奪うような気がして遠慮した。
それから三十数年が過ぎて、私は記者を引退、直後から古銭収集にはまった。その成り行きは連載の5、6回目で記した次第である。
ある日、集めた古銭を調べるために購入した「日本貨幣カタログ」(日本貨幣商協同組合編集・発行、2018年版)を何げなく見ていた私は、そこに載っていた銀貨にくぎ付けになった。
かつて日高町で見た「但馬」と刻まれた薄っぺらい金属片が、「但馬南鐐銀」という名前で記されているではないか。鋳造期間は江戸初期とあった。確か、あの老人は秀吉が作ったように言っていたが、そうではないらしい。
評価額の表を見て驚いた。「但馬」の文字は大中小の3種類などがあり、最低ランクでも1枚23万円、大きな文字の美品となると、100万円もするという。
ネットで調べると、幕府の直轄地だった但馬生野銀山の領内で、一分銀として使用されたとあった。裏面の「南鐐」は高品位の銀を意味する。
江戸幕府が額面五匁(もんめ)と定めた、初の計数貨幣の銀貨を発行したのが、明和2(1765)年。それまで戦国大名らが領国で独自に発行していた銀貨は、重さで価値が決まる秤量(ひょうりょう)貨幣だった。
但馬南鐐銀は、その100年以上も前に「一分」の価値を持つ計数貨幣として、独自に発行された希少な存在と知る。あの日高町の民家はどこだったか。今となってはほとんど記憶がない。素直に頂戴していれば、いかほどに…。
後悔しながら、私はネットオークションでレプリカを1枚1200円で入手した。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
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