骨董漫遊
私もかつては文学好きで過激な政治少年だったが、1989年のベルリンの壁崩壊を機に、文学にも政治にもほとんど関心をなくした。その頃、偶然手にしたのが、作家・堀田善衛の「定家明月記私抄」(1986年)である。
読み終えて、歌人の藤原定家(1162~1241年)が、日記「明月記」に「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾が事に非ず」と残したことを知った。数えで19歳の定家の感慨である。
紅旗(朝廷の旗)をおしたてての戦争は、いかに大義名分があろうと、歌の道を志す自分には関係のないことである-。政治には関与せず、歌の道に専念するという芸術至上の決意を示した言葉として理解される。
彼が生きた時代、京の都は疫病や飢餓、災害、戦乱などが相次いだ。文学とは人が倒れ死臭漂う中で、花鳥風月を題材に美の表現を希求した定家のような営みをいうのか-と思い知る。そして折に触れ、定家の作品に親しむようになった。
それから10年ほどして骨董(こっとう)に関心を持ち始めると、当然のことながら、定家の書が気になりだす。独特の書体は到底、流麗とは言い難くヘンテコだ。変に丸みを帯びて、1980年代に流行した少女文字の元祖とでもいうべきタッチなのだ。それでも、なぜか私は魅せられた。
ある日、京都の古美術品オークション会社の入札用カタログで「藤原定家 和歌懐紙幅」を見つけた。定家が書いた短歌の掛け軸である。ボーナス支給の時期だったことが弾みとなり、二十数万円で落札した。
天にも昇る心地だった。届いた軸をじっくり見るうち、表装の文字部分を取り囲む中廻(ちゅうまわし)に、家紋らしきものがあるのが気になった。
もしや三つ葉の葵(あおい)か? とすると、徳川(松平)家に伝わった定家の書を江戸時代に表装した「本物」では? 胸が高鳴った。
表装の文字は「詠社頭霜和歌 右近衛権の将 藤原定家」と読めた。「詠社頭霜和歌」とあるのは、神殿近くに降りた霜を題材に詠んだ歌という意味だ。続いて歌の中身も解読しようと「くずし字」の参考書を買い求め、勉強を始めたものの、ちんぷんかんぷんの日々が続いた。
3年前の春のこと。大阪で開かれる古文書愛好家の集いに誘いを受けた。会員が所有する古文書を持ち寄り、「自慢比べ」兼勉強会をするという趣向だ。私も定家を誰かに解読してもらいたい一心で、参加した。
当日、会場で40代とおぼしき男性が、私の軸の前で立ち止まると、なんと、そこに書かれた短歌を口ずさみ始めたではないか。私はすぐに駆け寄った。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
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