骨董漫遊
「応相談」。木箱に張られた紙がひらひらと揺れている。私を呼んでいるのか。箱の中をのぞくと、骨のようなものが見えた。
10年ほど前、姫路で開かれた骨董(こっとう)市でのことだ。気になって店主に尋ねると、「中国の昔の文字が刻まれた動物の骨」だという。高校時代、世界史の副読本で目にした「甲骨文字」の記述と写真が脳裏に浮かんだ。
値段を聞いてみる。「応相談」ということは、うん十万? 店主は「骨董の商売を始めて30年、初めて扱う品だ。大珍品や…」などと、口上を述べた後で「2万円」と告げた。
私は、意外に安いと思いながら、高いのであきらめたように装い背を向けると、「5千円」の声が掛かった。振り向きざまに財布から紙幣を抜き取った。
家に帰ってじっくり見てみる。箱の底に、日付が確認できない古い新聞紙。その上に綿が敷かれ、めり込むように骨(縦約19センチ、横11センチ)が入っていた。カメの甲羅の腹部(腹甲(ふっこう))だった。
当然ながら、店主が言った「中国の昔の字」は読めない。早速、書店で「甲骨文字の読み方」(講談社現代新書)、「甲骨文字小字典」(筑摩選書)、「甲骨文字に歴史をよむ」(ちくま新書)を買い求めて解読を始めた。
甲骨文字は3千年以上も前、古代中国の殷(いん)王朝で使用された。大半が骨占いをした際の内容を記録し、漢字の原形になったとされる。
難解だった。腹甲には1行7文字で4行刻まれていた。分かったのは全28文字中、現在の漢字の「之」「亡」「人」「子」「未」「右」に相当する6文字のみ。1行も読みこなせない。その後も、仕事から帰っては字典と首っ引きで解読を試みたが、3日で断念した。難解すぎた。
それから半年ほど後、別の骨董店で、やはり甲骨文字のようなものが記された動物の骨をみつけた。店主は「何年か前、中国の骨董市場で、もの珍しさから買った。もちろん文字は読めんし、偽物か本物か、さっぱり分からん。本物なら博物館級、偽物でも恨みっこなしで、どうや」
交渉の末、一片当たり2千円勘定で10ほど買った。その後も数度、五片ほどずつ買い続けた。多くは牛の肩甲骨やあごの骨とみられ、亀は腹甲だけでなく、甲羅全体に文字が記されたものが交じっていた。いつしか自宅の収納ケースには、動物の骨がぎっしりと詰まっていた。
その後、ネット検索を続けていると、なんと亀の腹甲が60万円程度、レプリカ(複製品)でも1万円以上の値が付いているではないか。
私は金の鉱脈を掘り当てた山師のような気分だった。
(骨董愛好家 神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。
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