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骨董漫遊

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浮世絵の「横綱土俵入り」を描いた古伊万里大皿の裏に、筆文字が記されていた
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浮世絵の「横綱土俵入り」を描いた古伊万里大皿の裏に、筆文字が記されていた

 第七代横綱、稲妻雷五郎が描かれた大皿の話を続ける。

 大皿の裏に、手慣れた筆文字が記されていた。

 本朝天保年造

天保拾壱年拾壱月吉日

 献 肥後国不知火諾右衛門 湊浦風

       無釉為御座

 調べてみると「不知火(しらぬい)諾(だく)右衛門(えもん)」は現在の熊本県宇土市出身で、文政5(1822)年に大坂相撲の湊部屋に入り、大関まで昇進。その後、江戸相撲の浦風部屋に移って八代横綱となっている。

 不知火の文字から、土俵入りの「不知火型」を創始した横綱か、と連想した。だが、不知火型を始めたのは、第十一代横綱の不知火光右衛門で、諾右衛門の弟子だった。

 「湊浦風」は諾右衛門がいた相撲部屋、大坂の「湊」と江戸の「浦風」を示すのだろう。また、日本相撲協会の公式サイトによると「天保11年11月吉日」は、諾右衛門が横綱称号を許された時期だった。つまり、この大皿は諾右衛門が横綱になった記念に、誰かに献上したもののようだ。

 だが、図柄は先代横綱の七代雷五郎である。私は、これは自分のひいき筋などではなく、雷五郎その人に贈ったのではないか、と推測した。

 雷五郎は1年前の天保10年に引退。諾右衛門とともに、雲州松江藩のお抱え力士だった時期がある。確証はないが、諾右衛門が引退した雷五郎をねぎらうため、自らの横綱昇進報告を兼ねて大皿を特注したのではないだろうか。

 ちなみに、雷五郎は引退後、雲州相撲の「頭取」に就いている。ゆかりの皿が、雲州に近い鳥取の骨董(こっとう)店にあっても不思議ではない。

      ◇

 ここまで、鳥取の骨董店の思い出話をつづってきた。全国の骨董市、骨董祭は昨年来のコロナ禍で中止が相次いでいたが、今月になってようやく復活の兆しが見え始めた。うれしい限りだ。

 この春のこと。気晴らしに大阪・梅田の古書街を歩いていて、ある書店の浮世絵販売目録に、諾右衛門土俵入りの浮世絵が載っているのを見つけた。すぐに店主に尋ねたが「数日前に売れた」という。以来、この絵を探し求め、ようやく名古屋の古書店が所有することが分かり、注文した。

 届いたのは、前回の連載で紹介した雷五郎を描いた浮世絵と同じく、初代歌川国貞の作だった。1枚ものだったが、おそらく本来3枚セットで左右に太刀持ち、露払いの力士がいたはずと思う。が、それはこの際どうでもいい。諾右衛門の知的で男前な風貌に、なぜかほっとしたから。

 (骨董愛好家 神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。

2021/10/18
 

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