骨董漫遊
連載の2回目に書いたように20年ほど前、私は出石焼の徳利(とっくり)に魅せられた。その頃、別冊太陽の「骨董(こっとう)をたのしむ1 徳利と盃」(平凡社)という一冊と出合った。
ところが、出石焼徳利の話など一行も書かれていない。市場に大量に出回っていたはずなのに、完全無視である。無性に腹が立った。
ただ、じっくり読んでみると、出石と同じ古伊万里(こいまり)、古九谷(こくたに)といった磁器系統の徳利は、愛好家にはさほど人気がないことがうかがい知れた。徳利愛好の神髄は「使用することで生じる器体の変化を観察すること」と理解した。
土物(陶器)の徳利を長年使うと、酒が器体に染み込んで、表面が茶褐色になるとかシミが浮き出るとか、なにがしかの変化がある。それを愛好家は「徳利が(酒を吸って)成長した」と喜ぶ。硬質な磁器ではそういった変化は起きない。
だから磁器の徳利は姿や形に関係なく、2番手扱いなのだ。最高位は朝鮮の李朝時代のものらしい。粉引(こひき)と呼ばれる種類を筆頭に刷毛(はけ)目、三島、井戸などが人気で、国産では古備前、織部が珍重されることを知った。
同じ頃のこと。JR東京駅近くの骨董街を巡っていて、ある店に目が留まった。ハードルが高そうな店だったが、意を決してドアを開ける。「何をお探しですか?」
「徳利です」。店内を見渡し、数本が目に留まったが、購買意欲がわかなかった。すぐに退店するわけにもいかず、店主と30分ばかり話をする。「なかなか、お詳しいですね」。店主は、私を“徳利通”と誤解したようだった。
「数日前、桃山時代の古備前の鶴首(つるくび)徳利が入りました。ご覧になりますか。市場にはめったに出ない逸品です」
二重の木箱から出てきたのは、前述の雑誌「徳利と盃」で紹介されていた名品と、うり二つ。というより胴のほどよい緋(ひ)色(いろ)など、それ以上の出来と思えた。
容量は2合が入る程度か。「どうぞ触ってみてください」。手に取って、値段を聞くと「せんにひゃくです」と返ってきた。
「せん?」。「千円台」と解した私は、安すぎるのでは、と店主に目をやる。すると張りのある声で、ゆっくりと店主が言った。
「1200万円です。この手(種類)で『1200』なら、お買い得です」
店主の表情から、冗談で言っているのではないことを悟る。衝撃だった。1200万円もする徳利がこの世に存在し、売り買いされていることが。
徳利を握った右手が小刻みに震えだす。「壊さないように、テーブルに戻さなければ」。ただ、それだけだった。
(骨董愛好家 神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。
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