骨董漫遊
明治期の政治家、松方正義(号は海東(かいとう)など、1835~1924年)は薩摩出身で、首相を2度務めた。
滋賀県在住の書家、松宮貴之さん(48)によれば、中国の書聖、王羲之(おうぎし)の流儀を受け継いだ政治家の「近代日本の三筆」の中で、優等生が松方だという。私が所有する、松方の筆と思われる漢詩を見てもらう。
通隧疏湖山野鳴
急流平處放舟行
誰知此有分支流
灌得新田萬井歳
〈トンネルを通じて、疎水の湖に野鳥が鳴き/急流も平処も舟が行く/誰が知るだろう、これが支流を分かつことを/灌漑(かんがい)で得た新田、賑(にぎ)やかな町の歳〉
松方が関わった疎水開通を喜ぶ「賛美詩」で、舞台は琵琶湖か、安積(猪苗代湖)ではないかという。
地元の有力者の依頼で書き上げたとみられ、「(詩の内容が)記念品めいていますね。書の基本や骨組みはしっかりしています」と松宮さん。ちんぷん、かんぷんだった漢詩について、歴史的背景まで解説していただく。ただただ脱帽である。
話はそれるが、依頼といえば、明治期の人々が最も書いてもらいたかったのは、福沢諭吉ではないだろうか。というのも、私は「独立自尊」と「腰間秋水-」から始まる四行詩の書を入手したのだが、どちらも水がこぼれてもにじまず、“工芸品”と判明した。
ファンの要望に応えるため、印だけが本物の工芸品が複数、作られたらしい。福沢の人気ぶりがうかがえる。
◇
ついでに、と言っては何だが、もう一つ、手元の松方の一行書「山は呼ぶ万歳の声」についても説明を受けた。
こちらは茶席に掛けられる禅語の一つで、中国の史書「漢書」に登場する武帝の逸話に由来する。禅の世界では「山そのものが『万歳』を叫んでおり、人は自然の声に耳を澄ますことが大事」と教える。松宮さん、いわく。「荒々しい気合を込めた字です」
松方に限らず、明治・大正期の政治家、文人らは皆、幕末に藩校などで四書五経や漢詩を学んでいた。
「この時代、詩といえば漢詩を意味し、(杜甫、李白などの)有名な作品をそらんじられることは常識でした。それを基本に、漢詩を創作することは難しいことではなかったでしょう」
新聞にも、大正の一時期まで読者投稿の漢詩欄が存在していたそうだ。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
【王羲之】303~361年。中国・東晋時代の政治家、書家。「書聖」と呼ばれる。
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