骨董漫遊
今回から4回にわたって、「政治家の書」をめぐる話をお届けする。
大学時代、日本の近現代史を専攻し、ゼミでは明治時代の思想史を学んだ。そんなこともあって、骨董(こっとう)市で幕末、明治の偉人たちの書に出合うと、つい手が伸びてしまう。いつしか押し入れは、掛け軸の木箱であふれていた。
最初に買ったのは、長さ60センチほどの古い木箱に「伊藤公筆憲法義解草稿」と記された軸である。初代総理大臣、伊藤博文(1841~1909年)の書だ(と思う)。
明治の大日本帝国憲法(1890年施行)は彼の主導で制定され、憲法義解は「事実上の公式解説書」との知識はあった。古美術店で、店主に箱から軸を出してもらい、「草稿」の文字を見たときの感動は、今も忘れられない。
伊藤博文の自筆かと思うと手が震えた。交渉の結果、価格は5万円となった。意外に安い、と思った。
自宅に持ち帰り、本棚から学生時代に買った岩波文庫の「憲法義解」を取り出す。
最初のページに、初版本(明治22年、国家学会刊)に記された序文の写真があった。伊藤が筆書きした冒頭の4行が写っている。
目で追うと、筆の運びや漢字の崩し方などは少し異なるようだが、私が買った軸と似ている。後半部分が欠落しているとはいえ、手元の軸は間違いなく憲法義解の序文の草稿、との確信を持った。
もしかしたら-。私が手に入れた軸の「草稿」に、「清書版」の序文と異なる事実があれば、明治憲法制定に関わる「新発見の史料」になるかもしれない。
そう思うと、居ても立ってもおられず、インターネットで序文の全文を探した。写真印刷によって掲載されていたものを、ネット上から取り出し、よく見比べてみる。
胸は高鳴るのだが、私の能力では明治期の筆文字が読めない。「くずし字解読辞典」などを何度めくっても、お手上げだった。
ただ、さまざまな関連書をひもといた結果、序文に書かれた大意はつかめた。
「仲間と憲法の制定作業をした際、『研磨考究した事』を分かりやすく筆記したものを義解という。解説や説明ではなく『備考の一つ』に加えられることだけを願う」
ここで、専門家の力を借りることにした。書棚から一冊の本を取り出す。「政治家と書-近現代に於(お)ける日本人の教養」(雄山閣)
著者は、滋賀県在住の書家、松宮貴之さん(48)。大学で書道を専攻、大学院で中国学と国文学を学んだ学究派だ。現在、京都の仏教大学の講師を務めている。
この春、私は松宮さんに連絡を入れた。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
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