骨董漫遊
入手した名器「ムキ栗」に似た四角い黒茶碗(ちゃわん)の素性を調べる上で、耳よりの情報が入った。「京都の楽(らく)美術館に持参すれば、楽家の当主らが1万円で鑑定してくれる」というのだ。電話で確認すると事実だったが、なぜか、弾んだ胸が急にしぼんだ。10年越しでようやく手に入れたのに、すぐに結果が分かるのが怖い気がしたのだ。結局、今も未鑑定のままだ。
それはそれとして。この黒茶碗で時々、茶を点(た)ててみる。が、うまく飲めない。どうも四角い形は構造上、無理があるようなのだ。四つの辺のどこかで飲もうとすると、口の左右からもれそうになる。結局、升酒を飲む要領で角に口を当てて飲むのだが、口先をとがらせざるを得ず、「ズズッ」と音を立てる「吸い切り」がうまくできない。
「吸い切り」とは、茶会の席で亭主に茶を飲み終えたことを知らせる合図であり、「吸い切るほどおいしかった」と伝える大事なマナーなのだ。
また、亭主は茶碗の「正面」を決めて差し出し、客は「正面」を避けて飲まねばならない約束事がある。では、本物の「ムキ栗」が茶会に出たとき、どこを正面にしたのだろう。現在の持ち主も茶会を開こうとすれば、「飲ませ方」で悩むに違いない、と勝手な空想を膨らませる。ところが、ネットを検索していて、そんな悩みは無用になったことが分かった。
茶会に登場することは、おそらく永久にないからだ。なんと「ムキ栗」は国の所有物になっていた。
文化庁が「茶道文化史上極めて貴重な作品」として、2012年に大阪の老舗茶道具店から買い上げたのだ。その際の発表資料がネット上で確認できた。価格を見て驚いた。なんと、2億1千万円!
1994年スタートした「開運!なんでも鑑定団」(テレビ大阪放送)という番組がある。調べてみると、鑑定額5千万、6千万円はあれども、1億円を超える抹茶茶碗など存在しなかった。
「ムキ栗」が来歴確かなすごい茶碗とはいえ、買い上げた時点では文化財指定は受けていない。それが、2億1千万円とは。いろいろな意味でニュースだと思ったが、ネットで検索しても記事は探せなかった。神戸新聞のデータベースでも見つからなかった。記事化されなかったのか?
「ムキ栗」は、買い上げ翌年の13年に国の重要文化財となり、東京国立博物館の所蔵品となった。茶人の手に載ることなく「安置」されることが茶碗にとって幸運なのか。名器の運命に思いをはせた。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。
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