骨董漫遊
人に「絵には興味がないの?」と聞かれたことがある。興味がないわけではない。骨董(こっとう)収集を始めて以来、拙宅は絵画の類いがあふれんばかりになっている。
洋画家でいえば、黒田清輝、岡田三郎助、児島善三郎、有島生馬、三岸節子、藤田嗣治、白滝幾之助、和田三造、熊谷守一…。洋画壇で、華々しく活躍した巨匠たちの作品を画廊並みに所持している。
もっとも、鑑定書付きは1点だけ。大半は真贋(しんがん)不明だが、それはさておき-。
今回から3回にわたって、私と肖像画をめぐる不思議な物語をお届けする。その絵に出合ったのは一昨年の夏、信州旅行でのことだった。
軽井沢で開かれていた「蚤(のみ)の市」に足を運んだ際、薄暗い会場の奥から人の視線を感じた。誰だろうか。
視線の方に近づいていくと、そこに紋付きの着物姿の女性を描いた油絵があった。旧家の長押(なげし)に並ぶ、写真だか絵だか分からないような肖像画ではない。かのルーベンスが手掛けたか、と思えるような堂々とした作品だった。
よく見ると、左上に「K.ISHIBASHI 1919」のサイン。ほぼ100年昔の大正8年だ。力量のある画家が、妻か母をモデルに描いたのかもしれない。
じっくりと絵の女性の表情を見ているうちに、亡くなった親族のおばさんとそっくりなことに気がついた。私との間に血縁関係はないものの、おばさん夫婦に子どもがなかったこともあって、よくかわいがってもらった。今も記憶が薄れることはない。
迷わず買い求めた。懐かしいおばさんの遺影代わりに手元に置いておくつもりで。
購入後、あらためて測ってみると、実寸は縦71センチ、横56センチ。幅約10センチの黒色に金の縁取りがある木製の額は、これまで見たことのない重厚なものだ。
しばらくたつと、いつものごとく、いろいろと気になりだす。あのサインの主、つまり絵を描いたのは誰なのか。モデルの女性との関係は?
インターネットなどで調べた結果、石橋和訓(いしばし・かずのり)なる画家が浮かび上がった。初めて知る名前である。彼の作品リストを見て思わず声を上げた。以前、石橋が描いた別の肖像画を見たことがあったからだ。
明治期に2度、総理大臣を務めた松方正義夫妻の肖像画である。彼の三男は、松方コレクションで知られる松方幸次郎。私は「松方コレクション展」の会場で、正義夫妻の肖像画を鑑賞していた。
石橋は、西洋画の目利きである松方幸次郎が両親の肖像画を依頼した画家、ということになる。相当に実力のある描き手のはずだ。私は石橋について調べ始めた。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
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