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骨董漫遊

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筆者が集めた富士山皿の一部。前列左から2枚目と4枚目が初めて買った皿
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筆者が集めた富士山皿の一部。前列左から2枚目と4枚目が初めて買った皿

 京都・東寺境内の骨董(こっとう)市で、山の絵を描いた皿が山のように積まれていた。今から20年以上前、私が骨董に目覚め始めたころのことだ。

 皿は白を基調に、濃紺の絵の具で山と麓の木々が描かれている。シンプルで、きれいなデザインだと思った。直径が31センチと22センチの大小2種類あり、それぞれ皿の縁に茶色のギザギザのようなものが施されていた。

 店主に値段を聞くと、「この富士山なら、大が1枚2千円、小が千円」という。

 「富士山?」

 「そうだ」

 「はぁ…。なんでこの絵が富士山と分かるんですか?」

 「分かるも何も、昔から決まっているの。骨董市で売っている昔の皿や徳利(とっくり)などの陶磁器に山の絵付けがあれば、99パーセント富士山。御嶽山でも岩木山でも、大山でもない。九州の古伊万里も京焼も、山の絵が描き込んであれば、それは富士山。常識なの」

 「決まっている」「常識」と強弁されて、たじろぎながらも、確かにそんなものかもしれないと思いつつ、言い値で大小1枚ずつ購入した。

 自宅に帰って、皿立てに買ったばかりの富士の皿を載せ、棚の上に飾った。日本一の山から、さわやかな風が吹き込んだような気がした。

 それにしても、なぜ山と言えば富士、なのだろうか。疑問が膨らんだ私は、手当たり次第に文献を読み始めた。

 富士山は、万葉集にたたえる歌が詠みこまれるなど、古くから信仰の対象だったのは確かだ。絵描きたちは、その姿を連綿と表現し続けた。「富士山の絵画史」という本が存在するほどである。

 庶民にとって、より身近な存在となったのは、江戸時代中期から末期にかけて、関東地方で起きた富士山ブームがきっかけのようだ。江戸と周辺の農村で、「富士講」と呼ばれる宗教的な自治組織が次々生まれた。何年もかけて旅費を積み立て、順番に巡礼登山するのである。

 また、現地に行けない人のために「富士塚」と呼ばれるミニ富士山が、地域の神社などに作られた。そこで祈願をすれば、登拝(とはい)と同様のご利益があると信じられた。その後、葛飾北斎の版画集「富嶽(ふがく)三十六景」が大評判を呼び、富士は着物にあしらわれるなど「なじみの柄」となる。

 京都の東寺で皿を入手して1カ月ほどが過ぎたある日、私は書店で「いげ皿」(1993年、光芸出版)というタイトルの本を見つけた。皿の写真集のようで、何げなくページをめくると、なんと私が買った皿もあり、説明文までついている。そんな有名な皿だったのだろうか。

 著者は、神戸在住のスコットランド人。大学で英文学を教える教師だった。

 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

2021/4/19
 

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