骨董漫遊
日本の骨董(こっとう)界に「李(り)朝もの」というジャンルがある。李朝時代(1392~1910年)の焼き物、木工品、民画などを指す。その魅力は「懐かしさを秘めた存在感」とでも言えばいいだろうか。私も焼き物の徳利(とっくり)に始まり、水滴、水呑み、民画、女性の守り刀の銀粧刀(ぎんしょうとう)、さらにかんざしにまで手が伸びた。
ただ一つ、置物としては大き過ぎて、失敗したのが青銅の「朝鮮鐘(ちょうせんしょう)」だった。15年ほど前、大阪の骨董祭で買った。その鐘は会場で圧倒的な存在感を放っていた。胴部にある飛天(空中を舞って仏をたたえる天女)の“浮き彫り”など、見れば見るほど歴史的美術品に思え、身震いするほどだった。
くしくも数日前、古書店で偶然、「梵鐘(ぼんしょう)」(学生社、76年刊)という本を立ち読みし、朝鮮鐘の存在を知ったばかりだった私は、これも何かの縁だと感じた。銀行で預金を引き出すことに何のちゅうちょもなかった。
だが、持ち帰ろうとして、その重さに腰骨がうめき声をあげた。会場から最寄り駅まで歩くことを断念、タクシーを拾うことにする。帰宅後、木箱ごと体重計に載せると、10キロを超えていた。目盛りを見ながら、大仕事をやり遂げたような充実感を覚えた。
翌日、「梵鐘」を入手した。著者は坪井良平(1897~1984年)。はしがき(前文)に「梵鐘に取り憑かれてから六十年」とあり、マニアの鑑(かがみ)のような人生に興味を持つ。奥付には、当時の住所として「神戸市灘区深田町-」と記されていた。
調べると、70年には神戸新聞の連載「わが心の自叙伝」に寄稿していた。会社勤めの傍ら日本や朝鮮、中国の梵鐘などを研究し、優れた業績を残した人物だと知った。
朝鮮鐘は、統一新羅(しらぎ)時代(7世紀中ごろ)から高麗(こうらい)時代(918~1392年)にかけて、朝鮮半島で鋳造された銅製の鐘をいう。特徴として、鐘のつり手(竜頭)の横に「旗挿し」、または「甬(よう)」と呼ばれる筒状の突起がある▽胴部に飛天などの“浮き彫り”がある-と、「梵鐘」に記されていた。
私が買い求めた鐘は、その説明通りの特徴を備えていた。数日、部屋に置いて眺めていたが、朝夕、カーテンの開け閉めをする際に何度も足をぶつけ、あざをつくった。身震いする思いで買った鐘も、次第にうっとうしい存在となっていった。
それまで大金を出して買った仏像や茶碗(ちゃわん)に、数日で後悔したことはない。初めての体験だった。
考えてみれば、朝鮮鐘は李朝以前の作で「李朝もの」ではない。だから私と波長が合わなかったのだ、と納得することにした。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。
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