骨董漫遊
魚と思われる形が三つ折り重なり、右上にレモンらしきものが宙に浮いて見える。版画だとは理解したものの、作者はいったい何を表現したかったのか。謎めいた雰囲気に心がひかれた。
約10年前、福岡・筥崎宮(はこざきぐう)の骨董(こっとう)市を初めて訪れた。主に西洋雑貨を扱う店の一角に、その版画の額が立て掛けられていた。値段を聞くと5千円。値切って4千円で買った。
帰宅後、ネットで調べると、版画家の浜口陽三(1909~2000年)の作品と分かった。作品名は「魚とレモン」(1958年)と判明した。浜口は写真の誕生によって途絶えていた、メゾチントと呼ばれる銅版画の技法を復活させた国際的な版画家だった。
銅板の表面に、鋭利な刃が付いたベルソーという道具を使って、無数の微小な点を打つ。そこにインクをつめてプレス機で刷り、微妙な黒の濃淡を表現する。浜口はさらに色版を重ねて刷る「カラー・メゾチント」の創始者としても知られる。
「魚とレモン」を詳しく調べると、発行枚数を表す限定部数は「50」、大きさは縦27センチ×横49センチとある。しかし、私の版画の左下余白には「106/125」とあるので、限定部数は「50」ではなく「125」だ。縦22・5センチ×横42センチで寸法も違う。
版画の出版に関する知識はなかったので、別バージョンの作品と理解し、押し入れにしまい込んだ。
昨年末の大掃除の際、ふと版画の存在に気づき、ついでに額と版画を引き立てるマットを新しくしようと思った。
額から作品を取り外そうとして驚いた。裏に、別の作品が2枚張り付いていたのだ。「ざくろとぶどう」(57年)、「黒いさくらんぼ」(56年)と分かった。
オリジナルではなさそうだが、3枚で価格はいかほどか。そう思うと、宝くじに当たったような気分になった。
東京の複数の画廊にその写真をメールで送ってみた。返信によると「限定部数が125とは奇妙。扱ったことがなく、分からない」とのこと。
改めてネットで浜口の文献を検索、「パリと私 浜口陽三著述集」(玲風書房 2002年)という本を知った。彼の死後、生前、雑誌などに寄稿した文章を集めた本だった。三木哲夫という編者の名前を見て驚いた。私が神戸新聞の編集委員時代、兵庫陶芸美術館館長としてインタビューした人だった。
経歴を尋ねたとき「版画の研究をしてきた」と言っていたのを思い出した。東京の某美術館の学芸員に尋ねたところ、三木さんは「生前の浜口を知る、日本で最も詳しい人」だという。早速、メールで作品の写真を送った。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
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