骨董漫遊
丸いビスケットのような物体が30個ほど、板の上に無造作に置かれていた。7年ほど前、大阪・四天王寺の縁日でのことだ。気になって老いた店主に声を掛けた。
「食べ物ですか?」
「ちゃう。ふうでいや」
そう言うと、店主は私に手のひらを差し出させ「封泥」と指で書いた。「古代中国のハンコの跡や」
見ると“ビスケット”の中心部分に、1辺2センチほどの正方形の印の跡があった。ほとんどが漢字4文字。古い字体のようで、「軍」や「大司」など部分的にしか判読できなかった。それでも、漂ってくる歴史の匂い? にくらっときて、まとめて買った。
帰宅後、封泥について調べてみる。古代中国では公文書などを保管したり送付したりする際、容器をひもでしばった後に結び目を粘土(泥)で覆い、官職などを記した印を押して封じた。それが乾燥して「石」になったものらしい。戦国時代に始まり、秦漢(しんかん)時代に最も広く使われたとか。文字は現代の印章で用いる篆書体(てんしょたい)だと分かった。
東京国立博物館が編集した「中国の封泥」(二玄社)を読むと、「封泥の印文にはしばしば歴史書の記録に漏れた官職、地名なども見られ、歴史研究の資料としても価値が高い」とある。
ざっと2千年前、紙が普及する以前の印は泥に押していたのか。そう思うと興味深かった。しかし、縁日でまとめ買いした中では一点だけ「春安君」の3文字は読めたものの、意味するところや価値などはさっぱり分からず、押し入れにしまい込んでいた。
1年ほどたって、やはり四天王寺の縁日で、あの店主と会った。私をかつての客と認めると、店主は「封泥と一緒に仕入れた中国の金印がある。買わんか」と話しかけてきた。頭の中に国宝の「漢委奴国王」が浮かび、胸が高鳴った。「金印と言っても、鍍金(めっき)だぞ」
翌月、あらためて店主から金印4個を購入した。鍍金とはいえ、「古代中国の役所が使ったもの」だという。2~4センチ四方の大きさで、鈕(ちゅう)と呼ばれるつまみの部分にラクダ、シシ、カメなどの動物がかたどられている。置物としてもよさそうだった。
中国の古代印に関する本を買い込み、文字の照合作業を始める。「中国官印制度研究」(片岡一忠著、東方書店)によって、手元の印の一つが「永興郡印」という隋(ずい)時代の官印とよく似ていることが分かった。ただ、私の印は1辺が約3センチで、本に掲載された印は5・2センチとあり、大きさが異なっていた。
真偽はともかく、古代の中国に思いをはせながら古印を磨き、印を押しては、印影を確認する作業が楽しみとなった。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。
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