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骨董漫遊

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京都・東寺で開かれたガラクタ市(10月4日)。秋になってにぎわいが戻った。骨董の出店が多い弘法市は新型コロナ禍で休止したままだ
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京都・東寺で開かれたガラクタ市(10月4日)。秋になってにぎわいが戻った。骨董の出店が多い弘法市は新型コロナ禍で休止したままだ

 7月末、骨董(こっとう)仲間のK老人から電話があった。新型コロナウイルスの感染拡大で、ご機嫌斜めの様子だ。「骨董市はどこも中止。京都や大阪の店にも行けん。ワシには『末法の世』が来たみたいや」

 K老人とは20年ほど前、京都の古美術店で知り合った。以来、各地の骨董市で、しばしば顔を合わせ言葉を交わすようになった。年に何度かは電話で自慢話を聞かされる。

 「毎日、どうお過ごしですか?」「写経や。これは楽しいで」

 「末法の世で、写経ですか? 例の経筒(きょうづつ)に入れ、地中に埋めて極楽行きを願う-というわけですね」と言いかけ、慌てて電話を切った。

 “例の経筒”とは、かつて京都・東寺の弘法市で私が買いそびれ、K老人の所有となった因縁の逸品である。

 まずは経筒の説明から。死後の極楽往生などを願って法華経(ほけきょう)、阿弥陀経などの経典を書写し、埋納(まいのう)する際に使った筒状の容器だ。この世の終わりが近いという「末法思想」の影響で、平安期の公家らは競って埋納の塚を作ったという。陶製や石製のほか、銅など金属でできたものもある。

 最古のものとされるのは、藤原道長が奈良県の大峰山、山上ケ岳に埋納したものだ。江戸時代に見つかり、現在では国宝になっている。

 今も昔も、大峰山は険しいことで知られる。果たして、道長一行はどのようにして登ったのだろうか。そう思うと、やや信じがたいものの、彼の日記「御堂(みどう)関白記」には埋納の様子が記され、経筒にも寛弘4(1007)年の年号が刻まれている。

 昨夏、京都国立博物館で実物を鑑賞する機会があった。高さ36センチの銅製で、ふたが付いた焼きノリの丸缶のようだった。全体に黒ずんでいるが、金メッキの跡がうかがえ、幽玄の美を見た思いがした。

 さて、K老人所有の経筒である。15年前、私は東寺の弘法市で黒ずんだ円筒形の物体を目にした。気になったものの、その日は空模様が怪しく、雨が降り出す前に全店を回ることにした。

 市を巡りながら、さっきの黒ずんだ物体が頭に浮かぶ。そういえば、高校時代の日本史の副読本に載っていた道長の経筒に似ていたような…。私は全速力で店に戻った。

 すると、すでにK老人と店主の商談は済み、道長の国宝に似た経筒が新聞紙に包まれようとしていた。高さ30数センチ、金属製で表面は剥(は)げてはいるが、やはり金メッキ跡が残る。何やら文字も刻まれているではないか。

 満面の笑みを浮かべるK老人! 私は地団駄(じだんだ)を踏んだ。

 後で店主に聞くと「何かよく分からなかったが、5千円で売った」という。まさに、一生の不覚であった。

 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

2020/11/2
 

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