骨董漫遊

【62】埴輪のN子さん その二 京都で運命の出会い 

2021/11/29 14:58

 なぜ、人物埴輪(はにわ)は兵庫など関西に少ないのだろうか? 兵庫県立考古博物館などで話を聞くと、次のようなことが分かった。

 人物埴輪は5世紀中ごろから7世紀初め、古墳時代中期以降に作られた。ところが、各地に普及しだした頃から、関西では古墳の造営が徐々に減少していく。6世紀中ごろ伝来した仏教が、古墳に埋葬した豪族らの霊によって地域が守られる、という死生観を一変させたのだ。「仏にさえ帰依すれば、守られる」のだから。天皇を中心とした集権国家が完成していく中、膨大な労力を必要とする古墳造りの意義は失われる。

 一方、関東では古墳の造営が続き、特に群馬県は人物埴輪の宝庫となる。

 武人の埴輪を購入してから間もなくのこと。京都の骨董(こっとう)祭で、群馬県出土とされる人物埴輪(全身像、59センチ)を偶然入手した。まさか、京都で出合えるとは!

 見た目は欠損もなく、「古墳島田」と呼ばれる当時の標準的な髪型の貴人女性のようだ。収納用の木箱には「6世紀、群馬県玉村町出土」の張り紙があった。それから毎日、仕事から帰ると机の上の二つの埴輪を眺めては、古墳時代に思いをはせた。

 ある日、ふと茶碗(ちゃわん)などの茶道具でも銘があるのに、埴輪にないのは礼を欠くと考え、「N子さん」と名付けた。するといつごろ、どこの古墳で、どのような状態で発見されたのか、知りたくなった。

 意を決して、玉村町の歴史資料館に向かう。2016年のことだ。高崎駅からバスと徒歩で約45分、たどり着いた資料館に入ると、展示ケースに2体の人物埴輪が並んでいた。解説文によると、町内の八幡原古墳群から出土した町指定重要文化財とのこと。

 じっくりと見た結果、わが家のN子さんとは別系統の埴輪だと直感した。学芸員に話を聞きたかったが、「今は分かる者がいなくて…」と言われる。結局、N子さんの出土にまつわる情報は何も得られず、空振りに終わった。そもそも、木箱の張り紙すら何の信ぴょう性もない。それでも、帰路の新幹線の中で人事を尽くした満足感を味わった。

 もし、玉村町で展示されていた2体と同じ古墳群から出土したと分かったら、「(N子さんを)一緒に並べてほしい」と寄贈を申し出たかもしれない。出土した地域の資料館で、多くの入館者の目に留まる方が幸せだ。そんな殊勝な心掛けになったのも、昔恋した女性の名前を付けてしまったから。N子さんは今、幸せに暮らしているだろうか。

(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。

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