骨董漫遊

【64】美術館をつくる その二 収集品を社会に役立てる

2021/12/13 15:37

 古美術収集が高じて美術館をつくった細見古香庵(ここうあん)の孫で、細見美術館館長の良行さんの語りを続けたい。

 「祖父は長男で私の父、實の古美術を見る目を徹底的に鍛え、気に入らないものを買ったときには、留守のときに勝手に売ったりしたそうです。その反発もあって、父は琳派(りんぱ)、伊藤若冲など江戸絵画の収集に手を染めました」。

 近年、江戸絵画の評価が高いが、實さんがそれらの収集を始めたのは昭和40年代のことで、「若冲などは、まだ一般的には無名に近い絵描きだった」という。3代目の良行さんは同志社大卒業後、米国の大学で日本美術を学んだ。帰国後は東京で美術商を営み、現代美術や和骨董(こっとう)を扱った経験がある。

 古香庵は78歳で亡くなった。病床で家族に「収集品を社会に役立ててくれ」と、遺言したそうだ。その死から約20年後の1998年、細見家3代が収集した品々を展示する細見美術館は開館した。

 縄文時代から日本の美術工芸のほとんどすべてを網羅し、重要文化財、重要美術品を含む千点以上を収蔵する。また、琳派作品の企画展を地道に続けた結果、「琳派美術館」と呼ばれることもある。良行さんは「3代それぞれが、自分の目を信じ収集を続けてきた」と話す。

     ◇

 古香庵と同様、関西各地には美術館を残すほどの収集熱を持った男たちがいた。

 藤田美術館の藤田伝三郎、白鶴美術館の嘉納治兵衛、香雪(こうせつ)美術館の村山龍平らが有名だ。藤田は明治時代の大阪財界の巨頭。嘉納は酒造業嘉納家の入り婿。村山は朝日新聞の創業者。

 この3人と比べると、古香庵の知名度は低い。だが、但馬の寒村出身の少年が会社を発展させながら骨董の収集と研究に打ち込んだ「刻苦勉励」に、シンパシーを感じる骨董愛好家は多いはずだ。

 2021年秋、細見美術館で開かれた生誕120年記念「美の境地」展に足を運んだ。「世界最高の美術品は日本の藤原時代の仏画」という信念で集めた「愛染明王像」(重要文化財)などが並び、古香庵の優れた美意識を堪能することができた。

 故郷、新温泉町の玉田禅寺には、彼が寄進した宝篋印塔(ほうきょういんとう)が残る。正和3(1314)年の刻銘があり、県内最古級の宝篋印塔として、兵庫県の指定文化財になっている。彼が大阪府内で見つけた収集品の一つだ。

 人間国宝の創作に影響を与え、故郷に収集品の文化財を寄贈する。憧れの人である。

(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。

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