エッセー・評論

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ANOCOLOE(アノコロエ)オーナー、松井隆夫氏。着用のコートは自身でデザインされたイギリスMoon社のツイード製 ANOCOLOE(アノコロエ)内観。春物のドレス 収穫した綿を手に。努力と苦労の結晶
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ANOCOLOE(アノコロエ)オーナー、松井隆夫氏。着用のコートは自身でデザインされたイギリスMoon社のツイード製

ANOCOLOE(アノコロエ)内観。春物のドレス

収穫した綿を手に。努力と苦労の結晶

  • ANOCOLOE(アノコロエ)オーナー、松井隆夫氏。着用のコートは自身でデザインされたイギリスMoon社のツイード製
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  • 収穫した綿を手に。努力と苦労の結晶

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ANOCOLOE(アノコロエ)内観。春物のドレス

収穫した綿を手に。努力と苦労の結晶

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 大学・大学院時代、京都には6年住んだ。

 卒業して幾星霜、地球を年間何周もするような生活を送りながらも、ほんの一瞬の隙を縫っては彼の街に舞い戻ってしまう。一生手に入らぬ曜変天目茶碗の持つ魔性のように、抗えぬ磁力に満ちた日本の古都。コンパスの効かぬその磁力に惹きつけられ、気づけば私はまた京都にいる。

 海外からのゲストが非常に多い上、彼らは世界中の美に触れている粋人たちであるので、日本滞在中の京都旅行プランを任される私は非常に骨が折れる。妖と艶と清冽さが複雑に層を成した爛熟の都に数日滞在するだけでは、幽玄・侘び寂び・幾十ものヴェールに包まれたその独特の美のほんの入り口に立つことさえ、到底不可能である。しかし、ゲスト達は何としてでもその入り口に立ちたいと欲するのだ。

 今年に入ってから既に8人の美の目利きたちが海外からやって来た。お友達からのありがたい助言を頂いて作成した京都プランは幸いにも大変喜ばれ、全員が再訪を固く約束して帰国の途に着いていった。

 実は今日もこの街にいる。3年半に渡る大きなプロジェクトを終え、次の仕事が容赦無く襲いかかっているのだが、そんな今だからこそどうしても逢いたい職人の友人が京都に住んでいるためだ。

 松井 隆夫氏。京生まれの京育ち。錦市場を河原町の方へ歩いて行き、御幸町通を入ったところに彼のセレクトショップ「ANOCOLOE(アノコロエ)」は位置する。赤い扉がその目印。

 4年前の2014年、友人と京都を歩いていた際、ショーウィンドウのディスプレイに惹かれてその赤い扉を押して以来、折あるごとに彼の店を訪れるようになった。

 松井氏が命名した店名の「ANOCOLOE(アノコロエ)」。一聞、過去への憧憬かと取れるだろう。しかしそこには、技術を編み出した過去の先駆者たちへの深い尊敬がある。先人の技術が継承され、やがて伝統となって今へと繋がり、そして未来を見据えながら洗練と進化を目指して精錬の日々を生きていく意味が込められた上での「アノコロエ」。過去は未来でもあり、逆も然りという、既存の時間軸の固定観念にとらわれぬ考え方を私は彼から学んだ。

 1997年、1台のミシンと1台の裁断台を置いた店舗兼アトリエから始まった松井氏の職人・アーティスト生活。最初の作品はメンズのブルゾンだった。

 創作活動を始めて約20年の間にセレクトショップ ANOCOLOE(アノコロエ)のオーナーとなり、パリのくずし割烹「枝魯枝魯(ギロギロ)」のスタッフユニフォームのデザイナーを務め、また職人の目利きがあればこその日本の隠れた才能を発掘していくバイヤーにもなった。

 素材、布地が作られる工程、デザインにこだわり抜いた彼が本日着用していたのは、1世紀前に創られた細工の美しいフランス製のガラスボタンを使ったオリジナルのブラウス。そして、やはり本人デザインのイギリスMoon社製のツイードコート。こんなシックがまたとあろうか。

 私が彼を尊敬する理由がもう一つある。服作りの素材を探求し抜いた結果、なんと松井氏は京都北部の大森地区の山中に600坪の綿花畑を借りて、綿栽培を始めてしまったのである。

 以下、彼の綿プロジェクトの経過。

 2014年、600坪の綿花畑を借りる。土を均(なら)し、5月中頃までに綿の種を植え、畝を耕した。鹿やイノシシに畑を荒らされないように、竹を鉈で切って編み込み、柵を作った。手入れに何度も畑へ足を運び、やがて秋に綿の実が膨らみ始めた。しかし収穫まであと一歩という時、東京コレクションから戻ってみると、柵をジャンプして畑に進入した鹿によって綿の実は全て食べられてしまっていた。茫然自失。

 2015年春、再び種まき。しかし、台風などの天候不順のため、実は全く成らず、収穫ゼロ。

 2016年春、再々度の種まき。イノシシが柵の下から掘って畑へ進入するなどの被害に遭いながらも、秋に初めての収穫を達成。

 2017年秋、2度目の収穫に成功。

 畑を貸して下さる方がいる。種を分けて下さる方がいる。

 山のしきたりを全く知らない街の人間の思いに深い理解を示し、やってみたらいいじゃないかと応援を送る地元の方々への深い感謝の念と共に、松井氏はライフワークとしてこの過酷な綿プロジェクトを続けていく覚悟を決めている。

 ところで私は今回、長年欲し続けていたレザーブーツを彼の店で遂に購入した。鳥取県で製作されたその革のブーツは、「緑」と一字では形容できない渋味と滋味を持ち合わせた独特の風合いで、5年後、10年後、飴色がかっていくであろうこの靴と共に過ごす日々が本当に楽しみである。

 丁寧にブーツを包んで貰うと、ANOCOLOE(アノコロエ)を辞し、先斗町近くの茶寮に寄った。

 お薄が来た。

 喫し終えると、そのまま鴨川を越えて気の向くまま高台寺まで歩いた。閑散とした冬の庭園は清冽で、暫しの静寂の中に精神を横たえる。ふと目をやると、ひっそり生した苔が畔道を包んでいる。その苔は、私が手に下げたバッグの中のブーツと全く同じ色であった。

 私はまたすぐこの街へ戻るだろう。日本の冬苔色の美しい緑のブーツを履いて。

         ■

ANOCOLOE(アノコロエ)

京都市中京区御幸町通蛸薬師下る船屋町388

TEL075・212・0180

2018/1/28
 

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