エッセー・評論

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初冬のコペンハーゲンの海。ここで様々なドラマが 親友のラモーナ コペンハーゲンでの公演最終日
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初冬のコペンハーゲンの海。ここで様々なドラマが

親友のラモーナ

コペンハーゲンでの公演最終日

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 よくもまあ無事に帰国できたものである。(前編はこちら

 別れ際、全く遠慮はいらない、お金を貸すからと何度も繰り返す照明デザイナーの親切に手を合わせながらも、私は固辞した。恥をしのんで告白すると、今までにスリや置引きにより、二十数回も財布を失くしている。失敗から何一つ学ばぬ大バカ者の典型で、その度に周囲のヒトビトのご親切に甘えてきた。もうこれ以上、誰にも迷惑をかけたくない。

 半日を一緒に過ごした親友ラモーナから電話があったので、かいつまんで状況を伝えた。話を聞き終えた彼が、今からではもう暗すぎるから、明日早朝に海岸へ一緒に財布を探しに行こうと言う。あぁ、この人は優しさでできている。私は「財布は強風で波にさらわれて、今ごろサーモンと共に海を遊泳していると思うから、もう諦めるね。でも、本当にありがとう」と、彼の厚い友情に涙した。

 さて、今宵は不思議なご縁で結ばれた方々にご招待を頂き、ヒップなイタリアンレストラン、その名も「ITALO DISCO」で最後の晩餐である。

 この夜は5名がテーブルを囲み、盆暮れ正月クリスマスの賑やかさだった。どれほど間抜けな理由で財布を失くしたか、私主演で再現ドラマ化され、一同大爆笑。しかし、間合いを見計らいつつ、友人たちがそ知らぬ風にそっと紙幣を握らせようとする。感謝の気持ちでいっぱいになったが、ここでも私は再び固辞した。大バカ者のケツは大バカ者自らが拭わねばならぬ、と。私の頑固な性格を知り尽くしている彼らは、機内のエリコの隣席は石油王に違いない、心配ないねと微笑んだ。

 翌朝。パッキングを済ませ、空港へ出発するまであと半時間と時計に目を走らせた私は、昨日の海岸へ向かうことにした。財布探しが目的ではない。帰国前に、あの圧倒的な自然の美しさを全細胞で感じたい。滋養として、めいっぱい取り込みたいと思ったのだ。

 風は強いが、今日も見事に晴れている。人っ子ひとりいない、私だけのニルヴァーナ。

 昨日横たわった岩を見つけたので、もう一度そこで仰向けになった。ヒトビトの寛大に許され見守られながらの極彩色の2週間だった。私は恵まれている。恵まれすぎている。財布紛失ごときが何であろう、そう、財布...

 ...と、私の右目が斜め45度下にある長方形の何かをとらえた。

 これは、これは、私の財布である。

 目を凝らすと、浸水まであと2cmという危うさの中、岩と岩の狭間に守られるようにして、財布は静かにそこへ身を横たえていた。静謐と神々しさの結晶体が鎮座ましますとでもいった趣きである。

 神よ...!

 しかし、海外では現金を持たないことにしている私の財布にはカード類しかなく、しかもクレジット・デビッドカードの4枚中、3枚は昨夜の電話で無効となり、疲労と怠惰からカード会社への電話を放棄した残り1枚は日本国内でしか使えない。さらに、そのカードは普段全く使っていない銀行のものなので、残高は限りなくゼロに近いはず。財布は奇跡的に見つかったが、私が無一文であることに変わりはない。

 財布を手に半ば呆然と別荘に戻った。火元、水回りなど、出発前の最後の点検を行う。コーヒーポットを元の位置に戻そうと持ち上げたところ、小さく折りたたんだ200クローネ(約3、500円)紙幣がぽろっと出てきた。これはもしや...。

 昨日、別荘でラモーナと朝食を共にした時、たくさんの食材を抱えてやって来た彼のポケットに、私は200クローネを無理矢理ねじ込んだ。物価の高いデンマークでは大した額ではないが、これ以上だとラモーナは絶対受け取らないと分かっていたからである。

 しかし、彼は私に気づかれぬよう、コーヒーポットの下へそっとお札を隠して帰って行ったのだ...。

 世界の中心で愛を叫んでも良いだろうか。

 私は帰国に際して決してこのお金を使わないと誓った。日本に戻ったら、素敵なプレゼントを買ってラモーナに送ろう。

 携帯でメトロの切符を購入して空港に向かい、アムステルダム行きの便に搭乗した。飛行時間は1時間と少し。機内で配られたパサパサのサンドウィッチが泣けるが、水で胃に流し込む。

 そして、アムステルダムからいよいよ関西国際空港行きの便に乗り込んだ。ここから約9、200kmは、よほどのことがない限り安全である。

 10時間半後、私は日本の地に降り立った。たったの2週間の旅だったのに、まるで2世紀分生きた気がする。

 入管や税関の手続きを済ませて出口を通過すると、私はATMの前に仁王立ちになって、くだんの財布を取り出した。

 皆さんは、昨夜私が疲労・怠惰の果てに、4枚目のカード会社への電話を諦めたことを覚えていらっしゃるだろうか。ほとんど使っていない銀行のカードが1枚、財布に入っていることを。

 暗証番号を入力して「残高」のボタンを押してみる。

 2421円。

 神よ...!!

 関空から神戸三宮行きの空港リムジンバス代は1、950円である。口座から2、000円を引き出すと、関空から両親に向けて「エリコをものぐさに育ててくれてありがとうと」と感謝の念を捧げた。我が怠惰の性情に私は救われたのだ。これで神戸三宮までの平和が約束されたことになる。券売機で意気揚々と乗車券を買った。

 三宮に無事到着。ここから自宅の最寄り駅まで4駅、運賃190円。財布の中には我ら関西人の強い味方、ICOCAカード。

 しかし、長らくICOCAにチャージした覚えがない。一体どうなるのだろう。

 恐る恐る改札にカードをかざした。

 残高237円。

 神よ...!!!

 こうして私は、自力で1万キロを旅して自宅に辿り着いたのである。

 旅の間、公演やグラマラスなパーティー、世界を賑わすクリエイターとの邂逅など、多くの素晴らしい体験があったのに、財布紛失という素晴らしく地味な出来事に膨大な字数にのぼるコラムを書いてしまったのは、この事件に我が人生の縮図のようなものを見たからである。

 そういう訳で、一件落着。日本で元気に師走を疾走中です。

2018/12/11
 

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