エッセー・評論

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ベルリン時代、市内で3度引っ越した。写真は最後に住んだアパートの階段。この優美な装飾を愛した
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ベルリン時代、市内で3度引っ越した。写真は最後に住んだアパートの階段。この優美な装飾を愛した

ベルリン時代、市内で3度引っ越した。写真は最後に住んだアパートの階段。この優美な装飾を愛した

ベルリン時代、市内で3度引っ越した。写真は最後に住んだアパートの階段。この優美な装飾を愛した

 月は弥生。世は受験シーズン大詰めの段階に入り、私も臨時で預かっている生徒をしごきまくる日々である。

 10数年前のこと、私はドイツのベルリンで、音大・芸大2校の入試に挑んでいた。前もって知人に入試要項の英訳を頼み、それに従って課題曲4曲の準備を周到に重ねてきた。

 しかし、音大の方の試験会場に入った私は、審査員から「願書に4曲しか書かれていないのはなぜか。ショパンのエチュードが抜けているじゃないか」と問い詰められ、愕然とした。課題曲はなんと5曲あったのだ。例えるなら、センター試験5科目受験のところ、英語教科の準備を丸々忘れて受験当日を迎えたようなものである。

 知人の送ってきた入試要項の英訳を鵜呑みにして、私はダブルチェックを怠ったのだ。

 審査員は「エチュードを準備していないなら仕方がない。では来年。Auf Wiedersehen (さようなら)」と私をまるでハエか何かのように手で追い払った。受験生は何百人にも及ぶのである。課題曲を用意し忘れた大バカ者の小娘に用はない。

 自分のあまりの大バカぶりに、震えが全身を伝う。そして同時に、自分のバカさを棚に上げ、冷酷極まりない審査員の態度に対して怒りが沸騰。彼らの頭上に槍が千本降る図を想像し、飛散する血で新しい世界地図を脳内で描き、こうなったら音楽家から画家に鞍替えしてやろうかと阿修羅の形相で呪う私はまだ若かった...。

 渡独前、私は背水の陣を敷いていた。入試の倍率は非常に高く、しかも日本の大学院を出ていたため、他の若い受験生より年齢的にハンディがあった。合格は予測がつかない。しかし、私は日本のピアノを売り払い、楽譜と多少の衣服以外の持ち物は全部処分して、ベルリンでの留学以外は道のない状況へ自分を追い込んでいた。日本でのコンサートのオファーも全て断っていた。

 そのような状況で、課題曲の1曲を準備し忘れたとてこのままスゴスゴと日本に戻り、来年の受験まで待てるわけがない。更に、翌年はもう1つ歳を取ることになり、できるだけ若い生徒が欲しい大学での合格は、既に大学院を出た私にはほぼ絶望的である。

 大バカ者の落とし前は、大バカ者自らが付けねばならない。

 審査員の1人が見かねて、10分時間をあげるからその間に受験するかどうかを決めろと言う。私は「Ja(はい)」と答えるや否や廊下を走り出し、練習室の1つのドアを蹴り飛ばした。

 中ではロシア人の女学生が練習しており、驚きのあまりポカンと口を開けて私を見つめた。私は英語で「一生のお願い。10分だけ練習させて」と日本式に土下座をして懇願した。彼女は土下座姿の私を見て完全に息を呑まれ、何も言わずに練習室を出て行った。

 ショパンのエチュード。これを弾かずして、また弾けずしてピアニストにはなれぬ。テクニック、表現力、色彩の豊かさ、ドラマツルギー等、演奏に際して音楽家としてのありとあらゆる能力を試される難物中の難物である。李朝の白磁のような、全24曲の稀有の傑作。

 めまぐるしく思考を巡らせてその中の1曲を選択すると、10分間、無の境地で指を動かした。そして、試験会場に戻った。

 本番でどのような演奏をしたのかは全く覚えていない。しかし、私は一生分の運を使い果たして、音大・芸大両方からの合格通知を後日受け取った。漏れ聞くところによると、前述の音大受験後の審査員評議会では「あのジャパニーズガールは本当はエチュードを準備していたのに、我々に印象づけるためにわざと準備していないフリをしていたのではないか」と、穿(うが)った意見が出たという。やはり、脳内で彼らに槍を千本落としておいて良かった(冗談です、すんまへん...)。

 ああ、日本での練習地獄の日々がモノをいって、よい結果がもたらされたのだ。勤勉とはやはり素晴らしい!

 …と、美談で終われるエリコである筈がない。私はその後、それまでの努力や犠牲や涙に対してまるで復讐するかのように、入学してからの半年間遊び狂うのである。正確には、半年間×24時間である。クラブやバーはいつの間にか顔パス、左の手首にはいつもクラブ入店時に押されるスタンプの跡があった。教授はそれを見るたびに、苦虫の中でも最強であろう、カメムシを100匹同時に噛み潰したような顔をした。必須とされていた語学力は、夜の世界で多国籍のヒトビトと英語やドイツ語で話すことで格段に上がった。しかし、品行方正な芸大の学生たちとは全く会話が噛み合わず、学内では大して友達は出来なかった。

 半年間遊び狂うと、私は憑き物が落ちたようにまた音楽の世界へと没入していった。ピアノを1台、弾き潰した。

 人生の中の半年くらい惚(ほう)けたところで、何ということはなかったと、少々の呆れ笑いと共に今は思える。そして、その惚けた日々で出逢った宝物のような友人たちとは、今でもずっと交流が続いている。今夏はベルリンのアートフェスティバルに招待されているので、彼らとの再会が今から待ち遠しい。

 毎日受験勉強に励む皆さんに、見事な桜が咲きますように。

2018/3/9
 

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