7月末日に灼熱地獄の日本を出国し、1カ月にわたるヨーロッパツアーが始まった。コラム前編はスウェーデン、後編はデンマークでの愛と狂騒の日々を絶叫してみたい。
【6~9日目】
北欧パーティー王国の首都コペンハーゲンへやって来たが、不粋なことに最初の数日はピアノの猛練習に終始した。旅の最中は、練習時間と場所の確保がピアニストの最優先事項のひとつであるから仕方がない。
練習場所への通り道に建つ、新鮮な食材店や洒落たデリ巡りが楽しいマルシェ「Torvehallerne」での買い物、そして親友と毎晩夕食を共にすることが唯一の楽しみ。そして遅くまで語り合うことも。
【10日目】
「エリコ、僕だよ。もしかしてコペンハーゲンにいるのかい?それなら...」
一本の電話によって、今夜開催されるシネマクラブで突然パフォーマンスを行うことになってしまった。主催者の彼が劇場を丸ごと借り切っての会なので、何でも自由にしてくれて構わない、衣装も選曲もテーマも全部エリコのお気に召すまま、お気楽な会だからと言うのだが、はたして本当かどうか疑わしい。
想定内の予想外というか、会場に着いたら案の定、思いっきり明確なテーマがあるではないか。今宵のシネマクラブのお題はパキスタンで、会場の飾り付けも主催者もホストも全員、パキスタンを意識した装いであった。私ひとり、赤いロングドレスに花魁風のつけ帯をだらりと前に垂らした異様な姿である。
パキスタンも日本も大きなくくりではアジアじゃないか、僕たちが着ている衣装だってもしかしたらインドのものかもしれないし。それにしてもエリコのドレスはなんて独創的で美しいんだと手放しで褒めて(持ち上げて)くるので、最初はプリプリしていた私も、しまいにはどうでも良くなってしまった。デンマーク人のこうした適当…ではない、大らかさが私は実のところ好きなのである(ただし、本気で政治の話をするとなると、国政選挙の投票率が90%に迫る国なので、生半可な知識では彼らとの論議に参加することはできない)。
さて、この非常にゆるい感じのシネマクラブであるが、結果的には本当に素晴らしい一夜であった。ゲストにはまずフルーツ入りのウェルカムカクテルが振る舞われ、歓談ののち、やがて二階の映画館へ誘(いざな)われる。上映されたのは「East is East(邦題: 僕の国、僕のパパ)」)。パキスタン人の父親とイギリス人の母親、その子供たち7人の家族を描いたヒューマン・コメディである。ブラックなパンチの効いたコメディながらほろりとくる場面が多く、脚本・演出ともに並みの手腕ではないと思っていたら、2000年に英国アカデミー賞受賞の世界でも絶賛された作品とのこと。上映後は観客から大きな拍手が送られた。
その後は階下で私のライブ演奏。良い映画に触発されたせいか様々なアイディアが即興的に浮かび、今までとは違ったパフォーマンスになったと思う。演奏内容に関する観客の質問も、深いところを突いてくるのが快感であった。
ああ楽しかったと心から思えた夜。帰宅は午前2時ごろだったか。
【11日目】
北欧に来ると、ヴァイキングの末裔たちと過ごすせいでアルコールの摂取量が一気に増える。ワインから糖分を取るので甘いものを食べなくなるのだが、今日は飲む代わりにコペンハーゲン郊外のヴァイレ湖のほとりでピスタチオのアイスを楽しんだ。ものすごい数のカモが一斉に水へ飛び込むさまが壮観。
【12日目】
6時間ほぼぶっ通しでピアノの練習後、友人宅で遅めのランチをご馳走になった。彼はオーバーウェイトを克服するために食餌療法を続けており、医師からの指示通り、オーブン焼きや茹でたり蒸したりの野菜だけの献立だが、採れたての畑の恵みとはこんなにも美味しいものなのかと感嘆してしまった。
食後は彼の庭仕事を手伝った。芝を刈り、雑草を抜く。土の甘い匂い。薔薇の誘うような香り。
【13日目】
午前7時、気温14度、湿度86%、雨。
今秋のプロジェクトに向けての打ち合わせを5つ、いや6つか。
【14日目】
デンマークに来たら必ず訪れる場所が、ルイジアナミュージアムとニュー・カールスバーグ美術館。今日は両ミュージアムへの来訪が叶い、心浮き立つ。
ルイジアナミュージアムはコペンハーゲン市内から電車で北へ30分ほどの場所に位置するが、建物の中に入るや目に飛び込んでくるランドスケープの見事さは世界中から賞賛されている。晴れた日は対岸のスウェーデンが望め、青々とした芝生と北欧ブルーの海のコントラストが泣けるほど美しい。ビュッフェも評判で、家族連れでもひとりでも一日中ゆったりと過ごせる場所だ。
たっぷり陽光と潮風を浴びて再び市内へ戻り、次は中央駅からすぐのニュー・カールスバーグ美術館を訪れた。海外滞在中は朝から真夜中まで息つく暇もないほど予定が入っており、今日のように贅沢な時間は殆どとれないのだが、毎日が月曜日の窒息しそうなアーティスト生活も考えものだなと、壮大なエジプト彫像に囲まれながら大きく深呼吸した。
夜はしばしば通っているフレンチビストロ「Pastis」で食事。それにしても、夏の夜に各分野で大活躍する魅力的なヒトビトとの会話しながら飲むフランスの白ワインは、究極の美容液だと思う。
【15日目】
日本が誇る世界の陶芸家、道川省三先生のエキシビション初日。今年2月にご縁を得て、愛知、静岡、京都でお目にかかり、今こうしてコペンハーゲンで再会が叶った僥倖に感謝。巨大なギャラリーに多くの作品が展示されている。渾身を振り絞っての制作過程を日本で拝見した私は、あちこちで湧き上がる観客の驚嘆の声を聞いて涙が溢れそうだった。エキシビションは11月3日まで。コペンハーゲンにいらっしゃる方はぜひその目で至高の作品群をご覧頂きたい。
【16日目】
練習、とにかく練習。
【17日目】
装飾が施された室内プール、踏んでくれるなと無言の圧力をかけてくる徹底的に刈り整えられた芝生の庭、磨き過ぎて摩滅するんじゃないかと思うほど黒光りする家具を備えた邸宅でのコンサート。グランドピアノはデンマーク一の名高い調律師により調整・調律されたばかりで、鍵盤の反応が良好なのがありがたい。
一方、同時刻の市内では「コペンハーゲン プライド」がクライマックスを迎え、多くのドラァグクイーンの友人たちが巨大なペチコートで膨らましたコスチュームに身を包んで行進中。その勢いでこの邸宅までマーチしてきたら最高に楽しいのに、恐ろしく完璧な芝生は彼らの行進でメチャクチャになるだろう、室内プールにもマリー・アントワネットの衣装とカツラのまま飛び込むだろうなどと、不埒なことを考えてこっそり笑った。
コンサートは無事終了。ようござんした。
【18日目】
昨今のヨーロッパは日本酒ブームに沸いている。今日はコペンハーゲン市内で利き酒会が開催され、友人と参加。お酒とともに供される趣向を凝らしたおつまみ。至福のとき。
ヨーロッパで飲む日本酒も何やらこう、しみじみと旨い。
【19、20日目】
海外にいても、日本の仕事が待ってくれるわけではない。帰国したらすぐに秋のシーズンが始まるので、日本チームとのスカイプ会議で忙しかった2日間。かたやコペンハーゲンでは、ポッドキャストの収録や雑誌のインタビューがあった。
【21日目】
今回のコペンハーゲン滞在最終日。コンサート用のポスター撮影などを終えて向かった先は「The Union Kitchen」。デンマークの伝統料理、ミートボールが現代風にアレンジされていて非常に美味しい。ホームメイドの桃レモネードが喉ごし抜群。物価が高いデンマークにしては値段も手頃で、平日にも関わらず超満員だった。
コペン最後の夜なので少々羽目を外すとこにした私は、移動した先のバーで「ダーク&ストーミー(濃いラム酒とジンジャービールにライムのスライスを添えたハイボールカクテル)」を気が遠くなるほど飲み、笑い、歌い、夜更けまで顧客たちと踊り明かした。
明日から北欧を離れて南下する。さようなら、コペンハーゲン。さようなら、北欧。また次に逢う日まで。
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