1月の舞台で剃髪してから早や3カ月が経った。私の髪は現在、バフンウニとムラサキウニのちょうど中間の状態にある。
舞台で様々な役柄に挑戦しているので、私のスタイルは常に変容し続けているように思っていたが、ウニヘアーになってみて改めてクローゼットを開けると、着ていた服が今の自分に全く似合わない。やはり好みに偏向があり、知らず知らずのうちに衣装も私服もロングヘアーに見合うものを選んでいた模様。
そんな訳で、ウニコもといエリコのワードローブに大変革が求められている今日この頃である。
しかし、ウニ期を終えると、次はヤマアラシ期、さらに目指すところは八二分けオールバックの20世紀初頭退廃的没落遺族の長男風ルックである私は、髪型変遷ごとに衣装を買い変えることは出来ない。それではクローゼットが破裂してしまう。熟慮の末、一時的に完全オーダーメイド店「サロン・ド・エリコ」の開店を決めた。顧客は私一人という、贅沢極まりない、されどそこはかとなく漂ううらぶれ感が悲哀を誘う、ウニ期限定サロン。ウニ期が終わると布は解体され、舞台道具の一部として再利用されることが運命付けられている。
エリコ・コレクション略してエリコレ第1弾は、来る6月16日開催予定のコンサートパフォーマンス「『ときはいま』~紫陽花咲きやがて橋渡らむ之巻~」 のポスター・チラシ撮影用の衣装である。私はこの衣装を、東京出張の新幹線での往復の旅の最中に縫い上げようと決めた。
往路も復路もグリーン車まで満席で、辛うじて残っていた3人席の真ん中しか取れなかった私は、紫陽花色の何枚もの布を抱えて途方にくれた。両脇を挟むのは、日本の経済を根底から支えるオーバーワークも甚だしいジャパニーズ・ビジネスマン。せめて新幹線の中ではゆっくりしたかろう。ビールの1本も飲みたかろう。コレステロールを気にせず焼肉弁当の蓋を堂々と開きたかろう。
だが、エリコも焦っている。翌々日に撮影を控える私は、何としても神戸・東京の往復5時間で、ウニヘアーに合った衣装を仕上げねばならぬ。
両隣のビジネスマンに心の中で手を合わせながら、布を広げた。嵩(かさ)高いチュール地なので、すでに左隣の男性の膝に布が覆いかぶさっている。無言で詫びを重ねつつ針に糸を通すと、遠慮がちに縫い始めた。
しばらく夢中で作業を進めていたが、所詮アマチュア高級オートクチュール(?)の自称お針子エリコ。糸が途中でこんがらがって、思わずグッと糸を引いた途端、なんと勢い余って右隣の男性のスーツ左肩に針がプスッと着地してしまったではないか。身体中から一気に血の気が引いてゆく。
男性のスーツから恐る恐る針を抜きながら、私は何度も謝った。スーツを針で刺してしまいました、すみません、すみません…。
右隣の男性は、申し訳なさで縮こまっている私を見ると、疲れを滲ませた表情ながらもニコッと笑って鷹揚にこう答えた。
「最近仕事が忙しすぎて、肩が凝って仕方がなかったんや。まさにドンピシャでツボに鍼灸してもろて、アリガタイコッチャ。」
オー、コレゾ関西人。コノ洒落ッ気。コノ寛容。コノ対応力。
その後も何度か彼のスーツに針は着地したが、私はもうそれほど気にすることなく無事に衣装を縫い上げることが出来た(気にしよう)。しかもオートクチュール店のみならず、図らずも鍼灸院まで開いてしまった(いい加減にしよう)。
こうしてお針子ゴコロに火がついた私は、不眠症に悩まされる夜は縫い物に没頭するようになった。本コラムのタイトルである「一日一エリコ」のカットロゴをアップリケしたノースリーブドレスは既にモノにしていたが、それに合った羽織りものが無かったので、そちらには同じ書体で「神戸新聞」と縫い込んでアンサンブルに仕立ててみたり(写真参照)、巫女さんが履く袴を、利便性を考えて舞台用にアレンジしてみたり(こちらも写真参照)、とにかく縫いたい。この手に持つ針と糸で、綻びた国交や、隙間風吹く恋人関係、穴の開いた親子間だって何だって全てを縫い合わせたいシンドロームに罹ってしまった。恐ろしくお節介な症候群もあったものである。
狂騒と狂奔の血が流れている私は、或る日、ふと我に返って思うことだろう。「私、一体、何をしているのだろう」と。
ウニ期の終焉を迎え、まもなくヤマアラシ期に突入するピアニストを待ち構えているであろう新たな狂想曲が、奏でられる日は、近い。
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