今年最後の海外公演を終えて、帰国の途の中継地、アムステルダム国際空港でこのコラムを書いている。
前回の寄稿から3カ月も経ってしまったが、その間も海外や国内を周って、カタルシスの域に肉薄する法悦のときや、地獄の黙示録のようなドン底など、多くの経験をした。これらをコラムにまとめようと何度も試みながら結局筆を折ってしまった理由は、世の変動があまりに目まぐるしく、書いた瞬間から何もかもが「露と落ち 露と消えにし」とでも言うような無常の念から逃れられなかったせいである。
ようやく少し落ち着いたところで、ここしばらくの日々について、過去の回顧を交えながらしたためてみたいと思う。
毎年お世話になっているコペンハーゲンのコンサート教会でのプロジェクトのため、先週一週間は文字通り缶詰状態だった。たったひとり、大きな教会で寝泊まりもした。この教会は4年前よりディレクターのBjörn Ross 氏のもと、宗教的な教会としての機能を廃して、多い時には1日3公演も行われるコンサートホールとして生まれ変わった。素晴らしく豊かな音響、美しいステンドグラスが嵌められた空間。その上、Björが非常に寛容でいてくれるおかげで、自由自在に舞台を組むことができる私のお気に入りの会場である。宗教的教会ではなくなったが、社会的に弱い立場にある人々へ食べ物を振る舞ったり、無料で床屋のサービスを行ったりと、地域にしっかりと根ざした皆から愛される場所だ。
2015年に多文化の共存共栄のためのフェスティバルが開催され、ゲストパフォーマーとしてお招き頂いたのがこの会場との蜜月の始まりである。観客席にはブルカをまとったイスラム系の女性たちや、眩しいほど白いターバンを巻いたインドの男性など、普段コンサートホールでは見かけない客層が並び「ONE NATION」の美しさに胸を打たれ、以来毎年11月に1週間会場を借り切って公演を行っている。
一方2015年は、シリア内紛により何万という難民が命がけで西欧諸国に亡命した年であり、ドイツを始め、ここデンマークやスウェーデンでも彼らを受け入れるや否やで揺れに揺れた年であった。
たまたま過去の備忘録が見つかったので、このコンサート教会で過ごしていた当時の様子をここに掲載したい。
・・・・・・・
リハーサルのため、今日もコンサート教会に来た。扉の前にシリア人と思える男性が薄い毛布にくるまって身を横たえている。私は毎朝その人を跨(また)いで教会の扉の鍵を開けなければならない。
人を跨ぐ。
日本人として、人間の尊厳を冒すこの行為が辛くて辛くて仕方がない。「すみません。ドアを開けさせて下さい」と声の震えを押さえつつ頼み、彼は身体をよじって自分と扉の間に私のためのスペースを空けるのだが、それでもその男性を跨がなければ鍵穴に手が届かない。
今朝も陰うつな気持ちで教会の前まで来たところ、その男性が初めて毛布から顔を覗かせたので、目と目が合った。濁りの全くない、黒曜石のように澄んだ瞳。声をかける前に彼は身体を移動させて私が扉を開けるための場所を設けてくれた。
先ほど練習をいったん終えて、外で食事をとるために扉を押すと、男性はまだ横たわっていた。鍵をかけて気どられぬようにそっと立ち去ろうとすると、思いがけず彼が口を開いた。
「ピアノの音色って、本当に綺麗だね」
彼の瞳と同じ、澄んだ優しい声だった。
どうにもやり切れない。
・・・・・・・
...そうか、こんな事があったのだと現実に立ち返って同じ扉を開けながら、難民だったあの時の男性は今どこで何をしているのかと考えた。彼はまだ生きているのだろうか。
会場に入ると、チームが一丸となって一心不乱に働いている。デンマークは社会保障制度が他国と比べて非常に整っており、労働組合の力も強い。ゆえにリーダーである私は仕事の強制は一切しないのだが、彼女たちはまるで妥協を許さず、自ら課したタスクを終えるまでは決して帰宅しない。
ひとつの目標に向かって突き上げる情熱のままに打ち込むメンバーの姿と、薄汚れた毛布にくるまって、扉から漏れるピアノを音を身じろぎもせず聴いていた男性の黒い瞳が錯綜して、私は立っていられずに思わず床へしゃがみこんだ。
今回の公演の主題は「怠惰」である。怠惰とは一体何なのだろう。怠惰に見える行動は他者から見える現象であって、怠惰がテーマの公演のために労働条件を無視してふらふらになりながら働く人々も、そして私自身も、肉体・精神とも摩滅して吐きそうだ。ああ、毛布にくるまって成すすべもなく横たわっていたあの難民の男性も、何もできない苦しさで窒息寸前だったのではないだろうか...。
情熱、創造、爆発、幾つかのヒステリー、喜悦、過労、疲弊、深く結ばれた友情、キャットファイト、小さな死と再生を繰り返して、コンサート教会での1週間は幕を閉じた。21世紀に怠惰であることが、のたうつほど激しい葛藤であることを痛いほど認識した日々。怠惰は罪ではないと、過労死しそうなほど働きながら、舞台の上で無言のまま絶叫した毎日だった。そして労わり労られながら、ヒトとしてあるべき剥き出しの姿が美しいと感じられる毎日でもあった。
日本行きの搭乗が始まった。黒曜石のようなふたつの目が、救い難いほど疲れた私をどこかから優しく見守ってくれているとふと感じ、最後の気力を振り絞って搭乗ゲートをくぐった。
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