7月半ばに欧州ツアーに出てから約2週間が経った。
時系列的にはベルリンでの10日間の模様をまず書きたいところだが、私が今滞在しているスウェーデン中部の湖畔に立つサマーハウスでの2日間が、夢か現(うつつ)か分からぬほど儚いまでに美しいので、夢として消えぬ間に全てをここに書き留めたいと思う。
昨日の早朝、我々5名一行は2台の車に分乗して、デンマークの首都コペンハーゲンからスウェーデンへ北上の旅を始めた。
道中何度か休憩を取りながら、山羊と戯れたり、羊たちが一斉にベエーと鳴く様子を録音したりした。騎手養成所で、無の境地にいるように見えるサラブレッドが木陰に立つ姿に見惚れたりするうちに車は森の奥深くをを分け入っていき、やがてエンジン音が止んだ。
2棟に分かれた友人の大きなサマーハウスは、赤壁に窓縁が白く塗られた典型的な北欧スタイルで、庭の林檎の樹には実がたわわに生り、収穫まであと一歩といったところ。私はここで、激しいリハーサルとコンサートの嵐、朝までのクラビング、そのまま空港に走って飛行機に飛び乗る生活からほんの少し離れ、自然の浄化を受けてまた蘇生するのだ。
持参した20本ほどのワインやシャンパン、チーズ、魚肉の類を冷蔵庫に詰め込むと、私たちはすぐ側の湖へ向かった。
人っ子ひとりいない、空の色をそのまま映した漣(さざなみ)一つ立てぬ鏡張りの湖に頭から飛び込む。太古の昔から手つかずのままの湖面に青が乱反射しながら散っていく。
心ゆくまで泳ぐと、男性陣は夕食の準備をするためにサマーハウスへ戻り(先にワインボトルを開けたいというのが本当の理由だが、ヨーロッパの紳士は美しい言葉で真実を隠蔽する)、女性陣は湖を囲む森への散歩に出た。
数十年ぶりの猛暑に喘ぐ北欧だが、私たちが到着した途端に久方ぶりの激しい夕立ちがあったので、スウェーデンの森は息を吹き返し、霊的な自然現象がそこここで起こり始めた。
シダが群生する辺りから霧が立ち上る。蛙が一斉に飛び跳ねる。苔に覆われた果てしない森がどこまでも私たちを誘(いざな)う。あまりに力強い緑の生命力の中、覚醒と酩酊を繰り返しながら歩き続けた。
サマーハウスに戻ると、スライスしたオレンジと氷が入ったアペロールスピリッツが手渡された。私以外は全員北欧人、つまりヴァイキングである。アルコールの消費量と分解速度では到底叶わないが、私のパーティークィーンとしての能力の高さはそれを補って余りあるであろう。長い夜になりそうだ。
ポテトとセロリのピュレの上に、男性陣が釣って捌いた白身魚のフィレ、農家の直販店で買った猛々しいほどシャキシャキした野菜を使ったサラダ。ときどき林檎がポトリと落ちる音と、葉の擦れ合い以外は何も聞こえない静寂の中、我々は大いに飲み、食べ、ナンセンスな会話を繰り返す。そのうち月が昇り始めた。昨夜は皆既月食(ブラッドムーン)現象があり、その魔力の残り香をふんだんに撒き散らしたような月だ。
紹介が遅れたが、分野は違えど我々5名は全員が音楽業界に携わる身なので、食事が終わるとあっという間にプレイリストが出来上がり、やがてダンスパーティーが始まった。
踊り疲れると、ポーチに出て望遠鏡で火星を観察したり、明日焼く予定のピッツァについて話したり、今からムーンライトスウィミングに出ようかなどと、夜は更ける気配さえ見せない。
そしてそのうち、仲間の1人のサウンドアーティストが日本を訪ねた際に、私のイビキをこっそり録音していたと2年越しの告白。サウンドファイルがスピーカーから大音量で流れるや、ヒステリカルなまでの笑いの渦が起こる。イビキ音は即席でリミックスされ、「IBIKIin TOKYO」という作品が生まれた。ダンスパーティー再開。
別の友人が編集を終えたばかりの、リリースされたらおそらく音楽界を震撼させるであろう衝撃的な仕上がりのミュージックビデオをリビングで観たところまで覚えているが、今朝意識を取り戻した時はベッドの中にいた。歯磨きセットと化粧水の瓶が床に散らばっていたが。
現在、16時。男たちはピッツァの生地を捏ね、女たちはルバーブのパイを作っている。ひと泳ぎした私はと言えば「エリコはキッチン立ち入り禁止」と宣告されたのをいいことに、このコラムを書いている。鮮やかなオレンジ色のアペロールを飲みながら。
次回は、ベルリンの夏2018について絶叫中継させて頂きます。
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