エッセー・評論

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ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)
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ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)

ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)

ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)

 さて、イタリア在住の映画監督から日本の私にドキュメンタリー映画のワールドプレミアについてのメールがあった一方で、デンマークに居を置く映画制作会社のCEO、サラ・ストックマン氏はエジプトにいた。映画界での活躍を目指す現地のプロデューサーやダイレクターの女性たちへのマスタークラス開講が同国首都カイロ滞在の目的である。サラは米国アカデミー賞の選考・授与を決定する映画芸術科学アカデミーの会員でもある。また、プロデュース作品のひとつ「アルマジロ(2010)」がカンヌ国際映画祭において受賞を果たす等、女性映画関係者の地位向上が近年ようやく叫ばれる中、それに一歩先んじて映画界で活躍する先駆者としての女性という印象だ。

 映画祭のオープニングが1カ月先と迫ってきたため、エジプトのサラと日本の私の間で時差をかいくぐって猛烈なメールの交換が始まった。

 だがメールでのやり取りには限界がある。ワールドプレミアに向けての詳細を詰めるには直接会って話すのが一番だ。思いは制作会社側も同じで、スケジュール上の合意後、アシスタントからすぐにコペンハーゲン行きの航空券が送られてきた。

 2月下旬、私は関西国際空港へ向かった。公演のない1週間の旅なので、スーツケースの中はほぼ空っぽ。隣県への出張程度の軽装だ。

 機上の人となり機体が離陸体制に入るや、ここ数週間の疲れがドッと出たのか、私は睡魔に身を委ねた。経由地のミュンヘンまで持病の閉所恐怖症に襲われることもなく、平穏な空の旅。最終目的地のコペンハーゲンにも無事到着した。

 されど、時が時。あっという間に6日が経過、明日一時帰国して3月中旬に再び映画祭のために再入国との予定は、帰国前日にデンマーク人初の新型コロナウイルス感染者が出たことで一変した。国中に緊張が走り、プロダクションからも電話が鳴り続けた。

 熟慮の末、私は翌日の帰国を断念した。欧州より1カ月早くこの危機を日本で見聞しているのと、欧州各国の政府がこの先続々と国策を発表するのは目に見えている。さらに、非EU国籍の私が2週間後にEUへの入国が可能なのか、まだ誰にも分からなかった。

 デンマーク保険庁と密接に連絡を交わしながらも、映画祭の準備は続いていた。しかし、3月9日、イタリア政府がEU最速の都市封鎖宣言を発令。イタリア在住の映画監督ヤニックの映画祭参加は困難となり、次いで11日夜には欧州で2番目のロックダウンがデンマーク政府より発令され、これによりコペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭開催は実質的に不可能となった。その日の夜中に「断腸の思い」と、公式発表にしては胸がしめつけられるような切々としたメールが主催者側から届き、しかし一同肩を落とす間も無く、実行委員会は映画祭をデジタル配信で開催すると発表した。デジタルへの電光石火の移行はデンマークが元々電子政府として非常にITに強く、動画配信への移行がスムーズに行える土台がしっかりしていることにあったと思う。それでもスタッフ達はそれこそ不眠不休で作業と対応に追われたことは想像に難くない。昨年は約11万5千人を動員した大きな国際イベントである。世界中からとんでもない数の問い合わせが殺到したことだろう。

 めまぐるしく変化する状況、そして映画祭のデジタル開催移行により、私の仕事量も質も激変した。各メディアからの電話取材、ビデオメッセージ作成サブタイトルの確認(数秒ごとに画面を停止してチェックする)、そして日本とのやり取り...。

 そもそも私は1週間の滞在予定でプロダクションとのミーティングのためコペンハーゲンに来た。だが、もはやどこで誰と何を何のために自分が存在しているのか分からない。

13日にはついに国境封鎖宣言が出され、航空会社は次々と運航中止を発表。北欧最大のスカンジナビア航空は従業員1万人を一時解雇した。

 キャンセル覚悟で日本行き航空券を買い、幸運にも私の便はキャンセルとならずに日本の地を踏んだ。1カ月ぶりの母国は季節が巡り、春になっていた。

 帰国して1週間ほどが経った頃、プロダクションからメールが届いた。映画「BEING  ERIKO」がノルディックドキュメンタリー賞を受賞したという。「エリコ、本当におめでとう。おめでとう!」と喜びに溢れた祝辞が並んでいた。

 ドキュメンタリー映画とはあくまで映画監督の主観がプライオリティNo.1。「BEING  ERIKO」と名付けられた自ら主演の映画を観て、思うことは実際たくさんあった。だが、監督と初めて出会ってから5年を要した作品が受賞の栄誉に浴したことは、表には決して出ないバックステージでの苦労、そして「ERIKO」という野放図極まれりな猛獣と格闘する猛獣使いとしての葛藤が報われて、本当に良かったと思う。

 また、凄まじい気迫と底なしの体力で私と仲間たちを尊厳を保ちながら撮り続けた撮影監督のヘンリックには、特に深く感謝している。

オンライン授賞式で「BEING  ERIKO」にノルディックドキュメンタリー賞が授与された時、審査員から以下の言葉を頂戴した(英語からの超訳)。

 【ノルディックドキュメンタリー賞は、非常に個人的かつ繊細なアプローチで、人を惹きつけてやまない感情豊かな人物を描写した映画に授与されます。芸術的才能を伸ばすための容赦ない鍛錬、社会的常識を超えた挑戦といった、多くの重要なテーマをこの映画は内包しています。 大胆にして映画の視聴者にも分かりやすい方法で、過去の呪縛から解き放たれた女性との邂逅が叶う映画。この賞はヤニック・スプリズボエル監督による「BEING  ERIKO」に贈られます】

 

 さぁ、今からピアノの練習に戻ります。

追伸: 映画の英語タイトル「BEING  ERIKO」が、実はワールドプレミア直前まで「THE WORLDS OF ERIKO」であったのはここだけの話。

2020/6/8
 

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