エッセー・評論

ピアニスト牧村英里子と世界のヒトビト

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燃えに燃えた修業時代 (写真・Magnus Kaslov) 一日中ピアノを弾いていた留学生時代。休憩もピアノの上で
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燃えに燃えた修業時代 (写真・Magnus Kaslov)

一日中ピアノを弾いていた留学生時代。休憩もピアノの上で

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 突然だが、1泊12ユーロ(約1500円)の宿に宿泊された経験はお有りだろうか。

 年間約60回の旅に出ていたドイツでの芸大留学生時代のこと。持ち帰ったスーツケースを、前もって楽譜やドレスを詰めておいた新しいスーツケースに取り替えに帰宅して、そのまま空港に引き返すような生活だった。

 国際コンクールに挑戦する際、本選まで進めば交通費や宿泊費が支給されるが、一次予選であえなく落とされてしまうと、かかった経費は全て自己負担であることが多い。また、講習会やマスタークラスへの参加費、楽譜やドレス代と、芸大生にかかる出費は相当な額にのぼる。

 それまでのコンサートで頂戴した出演料から、とんでもない額の飛行機代、ホテル代を支払った後の銀行口座残高を眺めながら、私は呻吟していた。

 これから10日間の日程で、バルセロナでのコンクールに参加予定である。交通費、食費等を差し引いて、1泊にかけられる宿代は幾らだろうか。

 電卓が厳かにその答えを導き出した。

 14ユーロ…。

 親に頼めば、将来への投資(投機ともいう)として援助してくれるだろう。しかし、私はもはや10代のうら若き娘っ子ではない。よって、その案は却下された。

 検索に検索を重ねた結果、1泊12ユーロという怖ろしくなるほど安いバルセロナの宿を見つけた。アパートの持ち主が、自宅の一室を貸してお小遣い稼ぎをしているといった印象だ。まだ「Airbnb」が設立される前の話である。

 私はかなり楽観的な人間だと思うが、ウェブサイトに掲載されている超広角レンズで撮られた加工甚だしき部屋の写真を見て、あらなんて広い!と喜ぶほどの超楽観主義者ではない。

 覚悟はしていたものの、いざその宿に着いてみて、顎が落ちるほどの衝撃を受けた。

 よくホテル宿泊者が「部屋が狭くてスーツケースが開けられないほどでした」とレビューしているのを見かけるが、その比ではない。ドアを開けた瞬間がソファの縁(ふち)で、反対側の縁はなんと窓にピッタリ隣接している。ソファの幅は130cmほどであろうか。

 鏡台(のようなもの)も置いてあるが、それとソファの間は約20cm。鏡台といっても台は段ボールの紙で出来ており、その上に切りっぱなしの鏡が壁にもたせ掛けてあるだけだ。

 ソファに丸まって横になってみたが、足を伸ばそうとすると、ドアを蹴破らん勢いだ。もちろん、このソファが今夜から10日間の私の寝床となる。

 別の宿にチェックイン済みの、共にバルセロナ入りした友人に私は電話で訴えた。凄いところよ。もしかしたら、ここはペット用の部屋かもしれない。

 友人は面白がって偵察にやって来た。そしてドアを開けるや否や、日本人特有のクセで、鏡台をバンバン叩きながら猛烈な笑いの発作に襲われたのである。

 次の瞬間、私は気を失った。固定されていない鏡が私の頭を直撃したのだ。同時に段ボールの台も破壊された。ああ、これは「鏡台」ではない、「鏡+台」なのだと彼に教えておくべきであった…。

 幸い私は息を吹き返したが、その夜がまたいけなかった。眠らない街、バルセロナの中でもこのエリアは桁違いのパーティープラネットだったのだ。窓側の通りでは一晩中ヒトビトが歌って踊り、飲んで叫ぶうちに夜は明け、私は一睡もできぬまま朝を迎えた。

 そんな状態で3夜を過ごして、エリコの著しいミイラ化が進行した4日目の朝のこと。宿のオーナーが「おはよう。今夜あなたの部屋をダブルブッキングしてしまったわ。フランス人の女の子がもうすぐ到着するの。今日からその子と部屋をシェアしてくれないかしら?宿泊代は半額の6ユーロ(750円)でいいわよ」と提案してきたところで、私の堪忍袋の緒はブチ切れた。オーナーに3泊分の札束を叩きつけ(と言っても、たったの36ユーロだが)、烈火のごとく憤りながら次の宿泊先も決まらぬまま、その宿を後にしたのだった。

 私の脳天を鏡で危うく割りかけた友人とこの話をするたびに、私たちは爆笑の渦に巻き込まれる。そのバルセロナのコンクールであっさり予選敗退したことも含めて、若い頃の苦労は年月を経ると、そのまま想い出という宝物に変わっていくのだとしみじみ思う。

 人生は本当に楽しい。

2018/10/13

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