ポーランドのブィドゴシュチュ市での2日目は、宿泊しているラプンツェル塔にビーッと響くインターホンの音から始まった。ドアを開けるや、昨夜のメンバーを含む多くの人がどっとなだれ込み、お茶を沸かしたりコーヒーを淹れたり、途中のマルシェで買ったというポーランドの定番ケーキを切ったりと、朝から大変な騒ぎである。地球上のエネルギーが、このラプンツェル塔一点に凝縮されたといった具合である。
まずは私たちのアトリエに行きましょうと車で向かった先は、かつての工業地帯のようだ。
さて彼らのアトリエ工場だが、巨大なんてものではない。重い鉄扉の向こうには、貨物運搬用の線路まで敷かれているのだ。ここもフェスティバルの会場のひとつとして使用されるが、インダストリアルな場所でのパフォーマンスはベルリン時代から慣れているはずなのに、この規模には度肝というより、肝そのものを抜かれた感じがする。私の貧弱な筆では伝えきれないなので、写真をご覧頂きたい。
肝を抜かれたままアトリエを後にして、次に宮殿の建つオストロメツコに向かった。ブィドゴシュチュから東へ15kmに位置する、緑豊かな愛らしいビレッジだ。
宮殿は2つあり、大きい方が新宮殿、小さいのが旧宮殿。フェスティバル開催中は、招待されたアーティストたちのために会場として丸々借り上げられており、宿泊のための部屋も新宮殿の方に用意して頂けるとのことだ。
「ここがエリコのお部屋よ」と見せて下さったが、窓から伺える景色の幻想的な美しさといったらどうだろう。
今日からポーランドは春だと皆が口々に話しているが、春霞の神秘とでもいうのだろうか。柔らかな陽光が煌めく中、ごくわずかに霞がかかったこの日の景色を、ベッドに腰掛けて飽くことなく眺め続けた。
旧宮殿にも案内して頂いた。こちらはアンティークピアノ博物館も兼ねており、約60台が展示されている。1810年頃製作というピアノを試演しているうちに、催眠がかったような心地に襲われた。1810年。この年はポーランド出生の作曲家、フレデリック・ショパンが生まれたとされている。ピアノの詩人と称される稀代の天才。ショパンのワルツをから始まり、忘我の境地で次々に思いつくまま曲を奏でるこの幸せ。しかし、2世紀の時を経て、Queenの「We Will Rock You」が日本人ピアニストによって弾かれることになるなど、このピアノの製作者もよもや思わなかっただろう。
宮殿見学を終える頃には日もとっぷり暮れて、私たちは再びブィドゴシュチュへ戻った。
夜は昨日に引き続き、歓迎パーティーにお招き頂いた。アートフェスティバル主要メンバーのフラットに、これまた続々とヒトビトが集まってくる。そして判明したのだが、フェスティバルの組織委員12名のうち、4名が弁護士、2名が裁判官(もしくは検事)、他の方々もアカデミックな分野で精力的に活躍しており、彼らの日常は多忙を極めている。その上で舞台芸術にも全力を注ぎ、フェスティバルを運営し、さらには映画製作にもその手を広げ、映像の知識を吸収するために大学の映像学部でも勉強しているという。
生きている。このヒトビトは1分1秒余すところなく、生きて、生きて、生きている。人生を存分に生きるとはこういうことか。ポーランド人を評する際にしばしば形容される「不屈の精神」を目の当たりにして、科学やテクノロジーを超越した人間本来の在り方を学んだと思った。
法曹界のメンバーとの間で盛んにジョークが飛ぶ。「法廷外では芸術仲間だけれど、法廷内では検事や弁護士として争うの?」「侃侃諤諤(かんかんがくがく)なんてものじゃないよ。血を見るよ、流血騒ぎだよ!」「エリコ、私は離婚調停のエキスパートよ。夫と問題があったらすぐに連絡するのよ!」「心強いわ、ありがとう。その前に夫を迎えなければだけれど!」
翌日。電車でベルリンに戻る私を駅まで見送りに来てくれた方々と強く抱擁を交わし、すでに再会が待ち遠しいと発車ぎりぎりまで手を握りあった。
帰国直後、フェスティバルの公演に対して「日本・ポーランド国交樹立100周年」公式記念イベントの認可が降りた、とても嬉しいわと報告があった。
我がモットー「ムシ・ブィチ・ドブジェ(全て上手くいく)」。夏のポーランド再訪が楽しみでならない。
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アートフェスティバル「Oko nigdy nie śpi (Eye Never Sleeps)」
2019年6月30日~7月4日、ポーランドのブィドゴシュチュ/オストロメツコにて開催
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