エッセー・評論

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平昌五輪にて「キング・オブ・スキー」荻原健司氏と リオデジャネイロでの五輪開会式開場にて ジーコ氏と ウサイン・ボルト氏へのインタビュー。写真左が井戸美香さん 1992年、バルセロナオリンピック。全てはここから始まった
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平昌五輪にて「キング・オブ・スキー」荻原健司氏と

リオデジャネイロでの五輪開会式開場にて

ジーコ氏と

ウサイン・ボルト氏へのインタビュー。写真左が井戸美香さん

1992年、バルセロナオリンピック。全てはここから始まった

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  • ウサイン・ボルト氏へのインタビュー。写真左が井戸美香さん
  • 1992年、バルセロナオリンピック。全てはここから始まった

平昌五輪にて「キング・オブ・スキー」荻原健司氏と リオデジャネイロでの五輪開会式開場にて ジーコ氏と ウサイン・ボルト氏へのインタビュー。写真左が井戸美香さん 1992年、バルセロナオリンピック。全てはここから始まった

平昌五輪にて「キング・オブ・スキー」荻原健司氏と

リオデジャネイロでの五輪開会式開場にて

ジーコ氏と

ウサイン・ボルト氏へのインタビュー。写真左が井戸美香さん

1992年、バルセロナオリンピック。全てはここから始まった

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 「オリンピックを専門とする世界中のメディア関係者で、井戸美香さんのことを知らない者はいないでしょう」

 現役時代「キング・オブ・スキー」と称された五輪金メダリスト、荻原健司氏(現・北野建設株式会社スキー部ジェネラル・マネジャー)から私はこの言葉を直接聞いた。荻原氏の言は続く。

 「井戸美香が『是(ぜ)』と言うのだから、この困難な仕事も絶対やり遂げねばならないという雰囲気が、完全に現場で出来上がっている」

 極めつけが次の一言。

 「井戸美香とは、オリンピックの顔である」

 「井戸美香さんとは?」の問いが発端となった、荻原氏との会話から、図らずも私は7年来の非常に近しい友人の肖像を、全く新しい切り口から知ることになったのである。

 1992年、ロンドンに留学中の美香さんにある話が舞い込んだ。

 「バルセロナ・オリンピックで仕事をしてみないか」

 美香さんとオリンピックが深い縁で結ばれることになる最初の瞬間であった。

 バルセロナで「コーディネーター」という仕事の面白さに目覚めた彼女は、以降、リレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレイク、ロンドン、ソチ、リオ、そして平昌と、オリンピックを内側から、時には矢面に立って支え続けて今日に至っている。

 オリンピックでは主にNHKを中心に放送の仕事に携わっているが、彼女のコーディネーターとしての仕事は多岐に渡る。以下、その一部を箇条書きにする。

 ・各国選手のリサーチ及びインタビューなどの取材交渉

・海外選手インタビュー時の通訳

 ・海外新聞記事翻訳

 ・中継を円滑に放送するための段取り(設営やそれに伴う確認作業、交渉など)

 ・アナウンサーのための資料作成

 ・スタッフの宿泊先、食事の手配

 特に生放送時の現場の模様は、聞いているこちらまで苦しくなるほどの緊迫感に包まれている。

 これまで数多のメダリストたちのヒーローインタビューに立ち会ってきた美香さん。例えば、陸上短距離選手のウサイン・ボルト氏。2016年のリオデジャネイロでのオリンピックで金メダルを獲得した直後のこと、彼女はボルト氏の通訳を務めていた。瞬発力命の短距離の世界でオリンピック連続3回、つまり12年間金メダリストの座に君臨し続けたアスリートに対する純粋な畏敬の念が湧いたと語る。

 勝利の栄光を掴んだ昂揚収まらぬ選手へのインタビューは、誰もが経験できることではない。同時に、敗者の落胆の場にも何度も居合わせて来た。勝負の世界の冷酷なまでの厳しさ。

 さて、遡ること2015年。ブエノスアイレスで、国際オリンピック委員会(IOC)は2020年のオリンピック開催地を高らかに宣言した。

 「TOKYO」

 美香さんの大叔父である大島鎌吉氏は、ロサンゼルスオリンピック三段跳びの銅メダリストであり、1964年に開催された東京オリンピックの選手団長を務めた。また彼女の父上も、同オリンピックでフランス語通訳として活躍。3世代にわたって、奇しくも生まれ育った街でオリンピックに関わることになった美香さん。ブエノスアイレスの会場でこの地名を聞いた時の、彼女の胸中は如何ばかりであったか。

 多くの世界大会に出場されている前述の荻原氏だが、オリンピックにはやはり「魔物が棲む」と言う。「オリンピックでの借りはオリンピックでしか返せない」とも。

 七夕の織姫と彦星は1年に1度の逢瀬であるが、オリンピックともなると4年に1度という切なさだ。開催期間の約2週間、世界中が取り憑かれたように夢中になり、閉幕と同時に「オリンピックロス」に襲われる。選手と彼らを支えるスタッフの心情は推して知るべしである。その感覚を「ブラックホールに果てしなく落ち込むような喪失感」だと荻原氏は表現する。美香さんも深く同意していた。

 さて、プライベートの美香さんついては、不肖ながらこのマキムラエリコに語らせて欲しい。

 彼女からの電話が鳴る。「明日会えるかしら?」「もちろん。今どこ?」「ジャカルタ」

 また電話が鳴る。「今から会える?」「もちろん。今どこ...」の問いを待たず、半時間後に彼女はもう我が家の前に立っている。

 さらに電話が鳴る。「エリちゃん、今どこ?」「コペンハーゲンの空港」10分後、何故か私たちは空港のラウンジで一緒にビールを飲んでいる。

 実は去年の大晦日を美香さんと一緒に過ごした。年越し蕎麦と似て非なる「流しそうめん」を食べに行かないかとの私の常軌外れな提案に、「もちろん行く」と即答。蕎麦でなくてもよいのか尋ねると、長ければいいのよ、長ければと答えつつ、流れ来るそうめんを掴む彼女の箸使いのあまりの巧みさに、一同が笑い崩れた。天性のムードメーカー、殆ど常軌を逸した行動力(失礼!)、そしてその柔軟性。

 「いやあ、本当に佳き友人に恵まれました」

 美香さんについてのお話の最後に、荻原氏はしみじみと呟かれた。そこには、苛酷な勝負の世界に生きてきた戦士が魅せる、戦友へのさりげない優しさがあった。

 凄まじいプロフェッショナリズムと深い人情味を併せ持った「オリンピックの顔」であるこの友人を、一ファンとしてこれからも本コラムで追い続けたい。

 大叔父から始まって3世代で紡がれる、井戸美香さんと東京オリンピックの物語を。

2018/10/7
 

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