エッセー・評論

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渡欧翌日。まだ現地のアーティスト達と写真撮影する余裕があった(撮影・Jacobstage) 2月下旬、デンマークのミュージアム。各所に消毒液が置かれていたが、人々にそこまでの危険感はなく、館内はかなり混雑していた ロックダウンの翌日、お世話になった親友にお寿司のテイクアウトを差し入れ 国境封鎖宣言下の電車内。ほぼ無人 街中が不穏な空気に包まれる中、友人が自宅で焼いてくれたパン。デンマークのパンは素朴な渋味にあふれ、非常に美味しい
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渡欧翌日。まだ現地のアーティスト達と写真撮影する余裕があった(撮影・Jacobstage)

2月下旬、デンマークのミュージアム。各所に消毒液が置かれていたが、人々にそこまでの危険感はなく、館内はかなり混雑していた

ロックダウンの翌日、お世話になった親友にお寿司のテイクアウトを差し入れ

国境封鎖宣言下の電車内。ほぼ無人

街中が不穏な空気に包まれる中、友人が自宅で焼いてくれたパン。デンマークのパンは素朴な渋味にあふれ、非常に美味しい

  • 渡欧翌日。まだ現地のアーティスト達と写真撮影する余裕があった(撮影・Jacobstage)
  • 2月下旬、デンマークのミュージアム。各所に消毒液が置かれていたが、人々にそこまでの危険感はなく、館内はかなり混雑していた
  • ロックダウンの翌日、お世話になった親友にお寿司のテイクアウトを差し入れ
  • 国境封鎖宣言下の電車内。ほぼ無人
  • 街中が不穏な空気に包まれる中、友人が自宅で焼いてくれたパン。デンマークのパンは素朴な渋味にあふれ、非常に美味しい

渡欧翌日。まだ現地のアーティスト達と写真撮影する余裕があった(撮影・Jacobstage) 2月下旬、デンマークのミュージアム。各所に消毒液が置かれていたが、人々にそこまでの危険感はなく、館内はかなり混雑していた ロックダウンの翌日、お世話になった親友にお寿司のテイクアウトを差し入れ 国境封鎖宣言下の電車内。ほぼ無人 街中が不穏な空気に包まれる中、友人が自宅で焼いてくれたパン。デンマークのパンは素朴な渋味にあふれ、非常に美味しい

渡欧翌日。まだ現地のアーティスト達と写真撮影する余裕があった(撮影・Jacobstage)

2月下旬、デンマークのミュージアム。各所に消毒液が置かれていたが、人々にそこまでの危険感はなく、館内はかなり混雑していた

ロックダウンの翌日、お世話になった親友にお寿司のテイクアウトを差し入れ

国境封鎖宣言下の電車内。ほぼ無人

街中が不穏な空気に包まれる中、友人が自宅で焼いてくれたパン。デンマークのパンは素朴な渋味にあふれ、非常に美味しい

  • 渡欧翌日。まだ現地のアーティスト達と写真撮影する余裕があった(撮影・Jacobstage)
  • 2月下旬、デンマークのミュージアム。各所に消毒液が置かれていたが、人々にそこまでの危険感はなく、館内はかなり混雑していた
  • ロックダウンの翌日、お世話になった親友にお寿司のテイクアウトを差し入れ
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  • 街中が不穏な空気に包まれる中、友人が自宅で焼いてくれたパン。デンマークのパンは素朴な渋味にあふれ、非常に美味しい

 私のそれは2020年2月21日に始まった。

◆2月

 日本では既に3週間あまり、新型コロナウイルス関連のニュース一辺倒。そんな中、緊急を要する仕事で急きょ渡欧することになり、関西国際空港からドイツ・ミュンヘンを経て、21日、目的地のデンマーク・コペンハーゲンに到着。最初の3、4日は「日本は大変な事になっているね。どんな状況なの?」と、心配と好奇心がない交ぜになった様子で現地の友人たちが口々に尋ねてきた。その頃はヨーロッパ人にとって、懸念はあれど、コロナ禍はまだ遠いアジアでの問題という認識だったように思う。

【27日】

 デンマーク保険庁が国内で初のコロナウィルス感染者が出たことを発表したことで状況は一変。メッテ・フレデリクセン首相が安全保障委員会(メンバーは財務大臣、外務大臣、法務大臣、防衛大臣等)を緊急招集し、国内では一気に緊張感が高まった。

【28日】

 私はこの日にいったん日本へ帰国し、3月半ばに再び渡欧する予定だったが、欧州への再入国の可否がこの時点で全く読めなかった。夜明けまで悩んだ末、今日の帰国便チケットを捨てるという苦渋の決断に至った。実は3月始めの2週間、スウェーデン人のアーティストと日本中をまわるアートプロジェクトを企画していたのだが、こちらもキャンセルせざるを得なくなり、翌日もその対応にも延々と追われ、疲労しきった状態で2月が終わった。

◆3月

 当初は1週間の滞在予定だったので、他県への出張に出るような気軽さでコペンハーゲンに来たが、短く見積もってもこの地での最後の仕事が終わる3月末まで帰国は困難となり、ノマドな生活に慣れている私もさすがに頭を抱えた。常備薬がない、短期滞在と高をくくって海外保険に加入するのを怠った、日本での多くの仕事を途中で置いてきた... と数え上げたらキリがないほど、最低でも1カ月の欧州滞在延期は問題が山積みである。ただ、現地には家族同様の友人や同僚がたくさんいて、デンマーク語で次々発せられる政府の声明をいち早く知らせてくれるのが非常にありがたかった。

【1日~5日】

 現地メディアの取材、写真と動画撮影、英語雑誌への記事寄稿などで非常に多忙。

【6日】

 フレデリクセン首相が記者会見を行い,3月末まで国内での1000人以上の大規模イベントは中止か延期を勧告すると発表。オーケストラやオペラ、ロック界の友人たちが肩を落とすのを見るのがつらい。

【7日】

 地下鉄の階段で、6人組の若者に暴言を吐かれた。「オエッ、gook(アジア系に対する蔑称)。お前が俺たちのデンマークにコロナウィルスを持ち込みやがって」

 長年外国に住む私は、普段この程度の無知の輩は相手にしないが、この連中を放っておくと他のアジア人にも同様の差別を繰り返すだろうと思い、瞬時にして反撃に出た。

 まず瞳孔を開いた状態でニヤリと微笑み、暴言を吐いた若者の顔を触るふりをして、さらに鍛え抜いたピアニストの両手で首を絞めるジェスチャーを見せた。それで6人組は震え上がり、しきりに謝りながら走って逃げて行った。この件は後日、デンマーク国営放送のニュースサイトでも取り上げられ、ほんの少しばかりアジア系への差別助長の歯止めの役割を果たせたと思う。もはや、コロナ禍の中心はヨーロッパに移った感があり、特にイタリアでの感染は爆発的な勢いで広がり、社会にマス・ヒステリアがまん延していくのが手に取るように感じられる。

【9日】

 在デンマーク日本大使館よりメールがあり、デンマークでは首相がマスクを推奨しないと公言しており、公共の場でマスクを着用することは差別を助長するおそれがあるので、ご注意くださいとのこと。

 すでに6人の若者と一戦を交えた私はもう腹が据わっており、公共の場でも堂々とマスクを着用して歩いた。マスクを着けたアジア人の私を見ると、文字通り保菌者に遭遇したかのように人々が後ずさるので、結果的に濃厚接触を避けることができて便利。大使館はデンマーク政府の声明を日本語で頻繁にメールして下さるので非常に助かるが、COVID–19に限らず、風邪やインフルエンザにもかかりたくなかったので、我が道を通した。

【11日】

 デンマークはWHOのパンデミック宣言を受けて、緊急事態宣言を発令。「ロックダウン」の文字がソーシャルメディアを踊る。

【13日】

 遂にフレデリクセン首相による国境封鎖宣言が発令され、3月14日正午から4月13日まで、デンマークの国境はすべて閉鎖されることになった(空路、陸路、海路)。その時点でデンマークでの感染者数は累計804人。感染者数は今後も急激に増える見込みであるとの報。

 この声明後、私の仕事先のプロダクションが非常に心配し、Erikoは何としても日本へ帰国した方がよい、国境封鎖は現時点では4月13日までとなっているが、この先どうなるかは誰にも分からない。あなたのフライトチケットを買うから一刻も早くデンマークを出国するようにと強く勧められた。他の欧州諸国も続々と国境封鎖宣言を発表するだろうから、何としても直行便で帰国したく、スカンジナビア航空のコペンハーゲン-成田の便を押さえた。18日コペン発、19日成田着予定。

【15日】

 大使館より再びメール。スカンジナビア航空は、ほとんどのフライトを中止する旨発表。コペンハーゲン・東京間の運航も順次中止となる可能性があり、その他の航空会社も随時運航中止を発表しているので、最新の運航状況に注意するようにとのこと。「ほとんど」と「順次中止」を最大限ポジティブにとらえ、私の便は必ず飛ぶと強気で1日を過ごす。

だが、帰国の途は容易ではないことを思い知ることになる。

~後編に続く

2020/4/10
 

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