エッセー・評論

ピアニスト牧村英里子と世界のヒトビト

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倉庫もといイベント会場で練習しているうちに、そこでコンサートをする運びに。このポスターが町中に貼られ、これまた赤面
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倉庫もといイベント会場で練習しているうちに、そこでコンサートをする運びに。このポスターが町中に貼られ、これまた赤面

倉庫もといイベント会場で練習しているうちに、そこでコンサートをする運びに。このポスターが町中に貼られ、これまた赤面

倉庫もといイベント会場で練習しているうちに、そこでコンサートをする運びに。このポスターが町中に貼られ、これまた赤面

 褒められるということは素直に嬉しいものだ。しかし、度が過ぎた賞賛はたちまち羞恥に取って代わる。今回は私が世界中で処せられた、恥ずかしくもちょっと切ない公開羞恥刑のお話。

 (1)デンマークシェランド島北部

 数年前まで、北欧の短い夏をサマーハウスで過ごすのが恒例だった。問題は、休暇中のピアノ練習である。苦肉の策として、レンタル会社からピアノを借り、それをトラックで運び込むという大がかりなことになった。

 しかし、サマーハウスには練習のための十分なスペースがない。そこで友人たちに相談したところ、夏の間はイベント会場として使われる倉庫へピアノを置いてはどうかとのありがたい申し出があった。ピアノ搬入の立会いに行ってみると、倉庫はなんと最寄駅のプラットホームに立っていることが判明した。

 その一帯には文化人や著名人の別荘が立ち並ぶが、どことなくヒッピーな雰囲気があり、緩やかなお祭りムードが流れている。何度も水をくぐったTシャツ短パン姿で、眩ゆい太陽と青い海を心ゆくまで楽しむヒトビト。そんな中、私は少々場違いなサマードレスを着て倉庫へ通い、毎日ピアノの練習に励んだ。

 倉庫もといイベント会場内では、毎夜開かれるパーティや文化イベントの準備のため、朝から多くのスタッフが働いていた。半時間に一度電車が停まり、鳴り響くピアノの音に驚いて、降車客がひょこっと会場の扉から顔を出す。コーヒーを買いに外へ出ると、何十人もの人がプラットホームやあたりの芝生に寝転んで私の練習を聴いており、驚いたこともあった。

 ある日の練習中にふと顔を上げると、会場責任者の一人、ニルスがピアノの横に立っていた。ホリデー中にピアノを運び込んで黙々と練習する私の姿は、夏の陽光に眩惑された北欧人の眼には一種崇高なものと映ったのだろうか。彼はおもむろに私の手を取ると、感動の面持ちででこう叫んだのである。

 「エリコは... エリコはまさに『掃き溜めに薔薇』だ!」

 その瞬間、私の顔は心臓になった。動脈と静脈が時を同じくして顔に血を送り込んでくる。

 耳まで真っ赤な私に、周りのスタッフたちが更に追い打ちをかけた。そうだ、エリコは薔薇だ薔薇だと彼らは大声で叫んだ。

 私は居たたまれなくなり、海岸まで走って逃げた。

 その後、水平線に向かって「海のバッキャロー」と石を投げながら青春したかどうかは、エリコのみぞ、知る。

 (2)イタリア東海岸沿いの小さな町

 イタリア本土をローマから電車で斜め上に横断し、東海岸に抜けたところで無人の駅に降り立った。そこで山上の町行きのバスを待つ。時刻表にはたった4つの数字。

 ジグザグの山道を登ること1時間。バス酔いでフラフラになりながら降りた途端、お喋りに興じていたイタリアのマンマたちにわらわらと取り囲まれた。何ごとだろう。

 彼女たちは私の方へ手を差し伸べると一斉に声を張り上げた。

 「オー、マダム・バタフライ!!!」

 さすがイタリア。日本と言えば、蝶々夫人。オペラ王、プッチーニの偉業はこの小さな山上の町にまでとどろき渡っている。

 職業は、年齢は、結婚はと立て続けに聞くので、学生、26歳(当時)、未婚よと答えると、

 「オー、神のご加護がありますように!!!」

 と十字を切られてしまった。

 この町の女性の多くは早婚だと後から知った。学生、26歳、未婚のマダム・バタフライとの出会いは、彼女たちの「もののあはれ」を誘ったのだろうか。

 面映ゆい心持ちで、コンサート会場に向かった。

 (3)ベルリン

 今では随分変わってしまったが、私が住んでいた当時のベルリンは全くお世辞を知らぬ街であった。笑顔を見せたら罰金を課せられるのかと疑うほど、街もその住民も不機嫌で無愛想だった。

 そんな中、ただ一人陽気でテンションMaxだったのが、通っていた語学学校の斜向かいに立つケバブ屋大将である。私たち学生は、お昼休みにしばしばここで小腹を満たした。

 いつの間にか、トルコ人の大将にすっかり気に入られてしまった私。通りかかる度に「いつヨメに来てくれるんだ」とか「今日の帽子はなかなか素敵だな、もう少し右に傾けたらもっと素敵だな」とか「全然ドイツ語が上達しないじゃないか、俺が日本語を覚えた方が早いな」とか、ストレート三振の王道をゆく口説き文句をニコニコしながら怒鳴るものだから、友達から散々からかわれる日々であった。

 ある日、大将は言った。俺のヨメになるのなら、ケバブくらいは上手に削げるようにならないとな。

 ヨメになんかならへんと強硬に抵抗する私を後目に、彼は反り身の細い刀のような包丁を私に持たせ、アレヨアレヨと言う間に巨大な肉の塊の前に立たせた。そして、Xを描くような包丁さばきを教え始めた。

 私は茫然とした。芸大に入学してやっと3ヶ月、語学学校に通い始めて1ヶ月、その上花嫁修行までスタートしてしまったのだ。

 「エリコ、一体そこで何をしているの…」

 授業を終えた友達が不思議そうに声をかけてきたところで、私は我に返った。ワタシ、イッタイナニヲシテイルノダロウ…。

 翌日から、遠回りして学校に通うようになった。

 10数年の時を経て昨秋ベルリンを訪れた時、偶然にもその語学学校に行き合わせた。

 ケバブ屋はもうそこにはなかった。

2018/2/13

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