エッセー・評論

ピアニスト牧村英里子と世界のヒトビト

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ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)
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ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)

ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)

ドキュメンタリー映画 「BEING  ERIKO」より(撮影: Henrik Bohn Ipsen)

 ピアニストでステージパフォーマーの牧村英里子を追ったドキュメンタリー映画「BEING  ERIKO」が、コペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭においてノルディックドキュメンタリー賞2020を受賞した(3月27日発表)。

 ...と、まるで他人事のような書き出しだが、「BEING  ERIKO」は正真正銘、いまこの拙コラムを書いている私の2年間を紡いだドキュメンタリー映画である。

 前回のコラム「国境封鎖宣言下のヨーロッパで」

  【前編】はこちら

  【後編】はこちら

にて、刻々と状況が変わる欧州での日々をつづったが、そもそも私がデンマークに渡った理由は、上記の映画祭にドキュメンタリーの主人公として招待されたためだった。

 話は5年前の2015年に遡る。

 シリアでの内乱が激化し、多くの難民が発生。シリア難民はおもちゃのようなゴムボートで命からがらギリシャのレスボス島に到着した。その第一報が入るや、私のデンマークの友人デニスが真っ先にイニシアチブを取り、シリア難民救済コンサートを企画し、私は演奏の依頼を引き受けた。

 おそらく欧州で最も早く難民救済にフォーカスを当てたイベントの一つだったせいか、会場は超満員で、観客には多くの文化人や芸術家、政治家の姿もあった。人道として溺れる者は助けなければならない。しかし何百万人もの難民を自国に受け入れられるのか-は、また別問題で、ヨーロッパ中が揺れに揺れていた時期だった。

 来場者には入り口でピンポンボールを配られ、デニスの「今だ、投げろ」の叫びで、ボールは四方八方から一斉に私へ向かって投げつけられた。

 たかが数百のピンポンボール。だが、それらは私の頭や胸、背、腕、足、両目まで直撃した。「溺れる者を救わない行為」の象徴として自ら指示した演出のくせに、私は悲しみと屈辱、怒りで立っていられなくなり、ピアノ椅子に座り込むと、そこから全14曲、ピアノが壊れるのではないかと思うほど、弾きに弾いた。最後は汗と涙でピアノの鍵盤が滑りに滑った。

 終演後、演出で使った舞台用血糊カプセルの血と、涙で流れたマスカラでダラダラになった姿をトイレの鏡で見たとき、この世にこんな醜い人間はいないだろうと思った。しかも、大勢の観客の前で感情を抑えきれずに泣くとは。舞台人として意図せず流してしまった涙に私は再び逆上した。演奏家失格だと新たに悔し涙がこぼれた。多くの義援金が集まり、支援団体が明後日レスボス島まで直接それを届けると報告が入ったが、虚無以外の感情は喪われ、洗面台にしがみ付いて猛烈な吐き気を堪えた。

 楽屋に戻ると、ひとりの男性が立っていた。そして自己紹介を始めた。

 「映画監督のヤニックです。君のドキュメンタリー映画を作りたい」

 血まみれのまま、私は思った。何だろう、このヒトは。一刻も早くひとりになりたいのだが。

 「悪いけれど、私、いま世界で一番醜いの」

 彼はニコリともせずこう言った。

 「うん、本当に酷いね。だが、それでも君の映画を撮りたい」

 こうして出会ったのが、ドキュメンタリー映画監督のヤニック・スプリズボエル氏である。Splidsboel。欧米人でも正しく発音できるヒトは少ないという、私には一生発音不可能な名字を持つ監督との邂逅(かいこう)の場がこれであった。

 それから数カ月後、ランチを共にした時に改めて聞いたところ、ヤニックはベルリン国際映画祭をはじめ、これまで300以上の国際映画祭に招聘を受けている映画監督で、クラシックの音楽家を追ったドキュメンタリー映画制作を長年夢見ていたという。血と暴力に満ちたあの公演を見てオファーしてきたのだから大丈夫だとは思うが、私はクラシックピアニストの枠から手足も頭も大きくはみ出している。彼の夢を粉砕してしまう可能性大だ。また、そもそもアーティストにはいろんな企画が持ち込まれるが、資金等の問題で実現するのはごく僅かであるので、失礼ながら彼の話は半分しか聞いていなかった。詳細はまたメールで、と食後のコーヒーを飲み干してその日はあっさり別れた。

 しかし、ヤニックは本気だった。プロダクションからゴーサインが出てクルーが揃うまで2年の時を要したが、2017年の夏、ほとんど唐突といってよい状況で撮影は開始された。クルーの紹介もないまま、私がミーティング中の中庭に彼らはそっと入ってきて、カメラが回り始めた。

 撮影監督はヘンリック・ボーン・イプセン氏。彼はアフガニスタン、ソマリア、ジンバブエ、ナイジェリア、ギニアビサウ等、内戦や内乱、紛争が多数勃発している国々で、撮影を通してルポルタージュを続けるシネマトグラファーである。私などより彼を追う映画を作った方がメガヒット間違いなしのMr. インポッシブルといったキャラクターの持ち主だ。しかし、出会った瞬間からレンズを構える彼の立ち姿を見ただけで、このヒトは信頼できると本能的に確信した。私や映画に関わる友人や同僚の本質を、尊厳をもってファインダー越しに全て吸い取る稀有の撮影監督だと。

 そして、サウンドレコーダーのモーテン・クロゥ・ヘルゲセン氏。長らくアメリカで世界的スターたちのレコーディングを担当し、彼自身もジャズのドラマーで、音楽愛に満ちた男性。クルーの中では一番若いが、マイク装着時に最大限の敬意と注意を払いながら肌にテーピングしていくのを見るにつけ、プロとは相手へのレスペクトを片時も忘れない人のことを指すのだと思った。

 チーム「BEING  ERIKO」はこうしてアシスタントも交えながらコペンハーゲンでクランクインした。 この時はまだ、異様なまでの熱量を持つこのチームで4カ国をまわり、痩せ細る思いで喜怒哀楽愛憎全てを共に分かち合うことになるなど、誰ひとり予想だにし得なかったのである(「思い」だけで、結局のところ誰ひとり痩せ細らなかったが...)。

次編に続く。

2020/5/7

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