エッセー・評論

ピアニスト牧村英里子と世界のヒトビト

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20代最後の頃のパフォーマンスからの1枚。寝食を忘れて24時間会場に籠りっきりで手探りで新しいアートフォームを模索した経験が、今に繋がっている。(撮影・Peter Erichsen)
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20代最後の頃のパフォーマンスからの1枚。寝食を忘れて24時間会場に籠りっきりで手探りで新しいアートフォームを模索した経験が、今に繋がっている。(撮影・Peter Erichsen)

20代最後の頃のパフォーマンスからの1枚。寝食を忘れて24時間会場に籠りっきりで手探りで新しいアートフォームを模索した経験が、今に繋がっている。(撮影・Peter Erichsen)

20代最後の頃のパフォーマンスからの1枚。寝食を忘れて24時間会場に籠りっきりで手探りで新しいアートフォームを模索した経験が、今に繋がっている。(撮影・Peter Erichsen)

 私は20代の頃、何度か飢えた経験がある。

 正確に言えば貧困からの飢えではない。しかし、夏季音楽講習会の講師として招かれ、東欧のある町にたどり着いた瞬間、これは大変なことになると直感した。現地通貨への両替をうっかり失念して来てしまったが、その町には両替所がなく、しかもクレジットカードが使える店も皆無。手持ちのユーロは何の役にも立たない。これから1ヶ月に渡る滞在期間中の、特に食生活への大きな不安が頭をもたげる。スーパーなどの食料品店が極端に少なく、あちこちから貧困の喘ぎ声が聞こえるような町だった。

 滞在先のホストファミリーは非常に温かく親切で、経歴を聞けば驚くほどアカデミックな一家だ。語彙豊かで見事な英語を話す。だが、理不尽としか言いようがない政治的理由で公職を追われ、彼らの家計が逼迫しているのは明白だった。蛇口はお風呂場に1つしかないので、野菜も皿も洗濯もそこで手洗いするのである。台所にある分厚い錆びに覆われた小さな箱は何かと思えば冷蔵庫で、コツを知らずに開けると感電するので触らないようにと注意を受けた。

 初日の夜、精一杯のおもてなしをして下さったのだが、野菜の根っこが浮かんだスープ、ジャガイモのマッシュに脂身だらけのベーコン1枚、そして黒パンの薄切りという献立を見て、このお宅で食事のお世話になることは到底出来ないと思った。しかし私の鞄には、おやつ代わりのミックスナッツしか入っていない。

 翌日から講習会が始まった。レッスン、伴奏、リハーサル、生徒たちから渡される何十曲もの新曲の練習、講師陣とのコンサートの準備など、朝の8時から夜の10時過ぎまで殆どピアノから離れることはなく、約14時間の肉体労働である。カンティーンで出される舌が痺れるほど塩辛い昼食の一食のみでこれから1ヶ月を過ごすのかと思うと、不安はいや増した。講習会の会場の周りは夏の花が咲き乱れた本当に美しいところで、しかし空腹を抱えた身にその光景はモノクロにしか映らなかった。

 ある日のお昼時、忘れ物を取りにホストファミリーの家へ戻る途中の教会の前に、長蛇の列があるのを見た。その中に、ホストマザーの顔を見つけてハッとなった。それは、教会で配給されるスープを待つ人々の列だったのである。

 毎晩疲労しきってホストファミリー宅に戻ると、私のために黒パンのスライスとバターの夜食が食卓に置いてあった。しかし、教会に並ぶホストマザーの憂い顔がちらついて、どうしてもそのパンに手を出すことができなかった。

 1週間が経過した。集中力の欠如が如実に現れ、些細なことにイライラするようになった。2週目に入ると、ピアノの鍵盤がぐるぐる渦を巻く幻覚に襲われ始めた。何度も同じミスを繰り返す生徒に厳しい叱責を飛ばしてしまう。塩漬けのようなカンティーンの昼食は弱った体には耐え難く、偏食が無くて何でも食べられるから、どこでも生き延びられるという自信は、脆くも灰燼に帰した。塩漬けの食事から逃れるように、ジャムをお湯に溶かして飲んだ。

 3週目のこと、同僚の1人が遂にSOSを出した。彼女の旦那さんが車で迎えに来て、私たちを近隣の大きな町へ連れ出してくれた。お昼からコース料理を注文して、無言で黙々と食べた。前菜の新鮮なサラダが運ばれて来た途端、涙が溢れ出た。同僚も泣いていた。

 あっという間に午後のレッスンの時間が迫り、キオスクで缶詰を幾つか買うと、私たちは急いでまた会場に戻った。

 最終週の4週目、飢餓感は更に耐え難いものになった。一度美味しいコース料理の味を覚えた胃が、まともな食事を流し込めと喚き立てる。ホストファミリーは、私が彼らの食材に一切手を出さないことに勿論気づいていたが、毎夜黒パンのスライスとバターを私のために用意しておく習慣は変わらなかった。

 もうどうにもならないと絶望した夜、私は震える手で最後のトマト煮の鯖缶を開けて、夜食の黒パンの上にのせてかぶりついた。震えるほどの美味しさと、パンを食べてしまった申し訳なさが交錯したが、空腹をしのげたお陰でその夜は久々にぐっすりと眠れた。

 講習会の最終日。講師陣によるリサイタルを終えると、私は予定を1日早めてその町を後にした。ホストファミリーが駅まで見送りに来てくれて、また来年もうちに泊まってねと何度も私を抱きしめた。一家を支えるだけでも大変なのに私を1カ月もの間泊めて下さって、その優しさと寛容にまた涙が溢れた。

 どんどんやせ細っていく中、ホストファミリー宅で食事を摂らない私は、もしかしたら彼らの誇りをひそかに傷つけていたのかもしれない。そう思うとやり切れない気持ちで、夜行電車の中でまんじりともせず夜を明かした。

 1000キロメートルの旅の末、自宅に戻った私は、2、3日廃人のようになってしまった。数日後、20代の小娘にはもったない額の講師料が振り込まれた。1日の休みもなくあれだけ働いたのだから当然の対価ではあるのだが、この額であの一家は何ヶ月暮らしていけるだろうと思うと、気が滅入って仕方がなかった。感傷からくる鬱ではない。講習会が終われば私は飢えから程遠い生活に戻れるが、野菜の先っぽとパン、教会で支給されるスープで生命を繋ぐ人々の生活は、これからも長く続いていくのだ。

 (ちなみに当時[2004年前後]、ルーマニアの友人の月収は7千円、チェコの交響楽団に所属する音楽仲間の月給は2万円だったと記憶している。)

 その後も似たような経験が何度かあったが、彼らを見習って私の普段の食生活がスープと黒パンのスライスに変わったかと言えば、答えは否でる。彩り豊かな旬の野菜や魚、高級な肉を使ったディナーパーティを何度も開催したし、この店の味は落ちたなどと、生意気な批判をすることもある。グルメ大国に育った弊害であろう。

 しかし、あの苦しい日々のことは体がしっかり覚えており、たまに食べ物を粗末に扱う人を見ると「脳天にイカヅチ落ちてよし」などと物騒なことを思う次第である。「いただきます」を言わない人も、肥え壺くらいになら落ちていいと思う。

 実は食をテーマに据えたイベントをチームで近々企画することになったので、上記のような在りし日の私的な食体験を思い出してはノートに書き記すことにしている。

 YOU ARE WHAT YOU EAT. 食は人なり。病む寸前の極端な空腹から学んだことを活かし、ご厚意で提供頂く海の幸、畑の幸に感謝しつつ、意義深い会にしたいと強く願っている。開催は6月16日。詳細はまた後日に。

2018/4/24

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