5時間19分。コペンハーゲンとストックホルムの間を電車で旅する際にかかる時間である。
飛行機だとたったの1時間10分で着くが、スーツケースは毎回紛失、入国日を未来の日付けでスタンプされる、遅延による乗り継ぎ失敗など、私の空港芸人としての技(?)は近年冴え渡る一方である。リスク回避のため、今回は電車での旅と相なった。乗り込んだエクスプレスの名前は「X2000」。実はこの名前、ストックホルムに住む私の大親友、ジョンのお父様であるクラウス・エリオット氏が名付け親である。
中央駅に着くと、ジョンとフレデリックが車で迎えに来てくれていた。約半年ぶりの親友たちとの再会。違う国に住んでいても、どんな状況下にあっても、私の心の拠りどころとしていつも変わらずにいてくれる素晴らしいヒトビト。
そしてストックホルム。あなたはいつも私に優しい。
今からジョンのお姉さんのお家に向かい、庭でディナーを食べようと言う2人。車の中でしきりに近況のアップデートを繰り返しながら、同時に私はちょっとした既視感に襲われていた。この感じ、知っている...。ああ思い出した。3年前のあの日の出来事を。
2015年夏。
スウェーデンの南端に位置するマルメから乗り込んだ件(くだん)の「X2000」は、ストックホルム中央駅に到着。いつものようにジョンが車で迎えに来て、私たちは会った瞬間から堰を切ったように話し始めた。
車はある料理研究家の家の前で止まり、すでに到着していたゲストたちと合流すると、中庭で素敵なディナーが始まった。ご招待下さったホストと合わせて計6名での夕食会である。もう1人の親友、フレデリックは私の横の席に着いた。私の目の前には見るからに知的で、明らかに特殊な階級若しくは職種に属する女性が優雅にフォークとナイフを操っている。
一方、車中でのジョンとの会話で弾みがついた私の口は止まるところを知らなかった。いつもの調子でべらんめぇの上、内容たるや際どさギリギリのスリル感。しかし、普段なら大笑いになるはずであろう場なのになんとなく雰囲気がおかしい。心なしかみんなの目が泳いでいる。口元には困惑の笑み。私の前に座る高貴な孤高の蝶といった雰囲気の女性が、首に巻いた絹のスカーフの位置を何度も何度も直し始め、メンバーがその様子を泳いだ目でチラチラと伺っている。しかし、我が口は一向に言うことを聞いてはくれぬ。
怒涛のアイロニー。絹のスカーフ。憤怒のスラング。絹のスカーフ。
彼女がテーブルを離れた隙に、横に座っていたフレデリックがやおら携帯を取り出して何かを検索し始めた。そして、こちらに画面を見せて寄こす。
「...エリコ。君の前に座っている女性、誰だか知っている?」
開かれたウィキペディアの情報を読むや、私の魂はスウェーデンの遥か上方に向けて飛び立っていった。
サラ・ダニウス女史(Sara Danius)。スウェーデンの文学者であり、ノーベル文学賞の選考機関である「スウェーデン・アカデミー」における初の女性事務局長。この職は終身制。
私は、つまり私は、世界最高峰に君臨する文学者の1人の前で、世界最低レベルの会話を延々繰り広げてしまっていたのである。
最も不適切な場で最も不適切な発言を行う天才、その名はエリコ…。
号泣しながらそのまま消え去ってしまいそうになったが、いや、何をどうまかり間違えてもノーベル文学賞が私に授与されることはないと思うと、すぐに衝撃から開放されてまたぞろお喋りに興じるあたり、私の頭のネジは数本ぶっ飛んでしまっていると断言してよかろう。
一足先にお帰りになったダニウス女史が、帰り際にホストへ向かって「今日は体調がすぐれなくてあまり社交的に振る舞えなかったけれど、とても楽しかったわ。ありがとう」と言って下さったと聞いて、少し救われた気持ちになった。礼儀上のことだったのかもしれないが…。
ダニウス女史よ、その節は空前絶後のサイケデリックな会話をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。(以上、回想)
というような私の恥ずかしい思い出話に興じていると、なんとそのサラ・ダニウス女史は今まさに「時のヒト」として、大スキャンダルの渦中にあるとジョンが言うではないか。
スウェーデン・アカデミーは終身制会員(定員18人)によって構成されているが、会員の1人である女流詩人、カタリーナ・フロステンソン氏の夫、ジャンクロード・アルノー氏が1996年から2017年にわたり、18人もの女性に性的暴行をはたらいていたことが去年11月に発覚。これを糾弾する改革派と、真実をぶ厚い天鵞絨(びろうど)のカーテンで覆い隠したい旧守派が対立。改革派のダニウス女史は信任投票の結果、辞任に追い込まれてしまった。
近代国家のフロンティアを行くスウェーデンで、このようなスキャンダルが勃発したことに驚きを禁じ得ない。また、夕食会で目の前に座っていた知性のかたまりのようなダニウス女史が「私としては(事務局長を)続けたかったが、そうはならないのが人生だ」「私の事務局長辞任は、スウェーデン・アカデミーの望みです」と語って、本来終身制であるアカデミーの事務局長職を去らねばならなかったことに対して、やるせない憤りを感じる。女史の辞任がつい先月の4月12日のことで、混乱しきったスウェーデン・アカデミーの機能不全状態を踏まえて、2018年のノーベル文学賞の選考は見送られると決定したそうだ(2018年5月4日発表)。
車はどんどん進んで行き、やがてジョンのお姉さん一家が住むお家が見えてきた。逞しく伸びる木の枝に吊るされた、手づくりの愛らしいブランコが揺れている。
ストックホルム。
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