20代の頃に7年住み、悪業…ではない、青春の限りを尽くしたベルリンで7月後半の10日間を過ごした。眠らない、眠らせない、欧州一のメトロポールでの240時間。今回は後半戦をジャーナル。
【6日目】
ベルリンNo.1の日本男児、小峯晋氏がオーナーを務めるCafe Komineを再訪。ベルリン芸大時代、チェロ科に在籍していた彼と私はデュオを組んで何度も共演を重ねたものだ。チェリストとして出会った小峯氏が、10数年後の時を経てパティシエとしてベルリンに店を構えることになるとは想像だにしていなかった。
(「ベルリンNo.1の日本男児に逢いに行く」記事はこちら)
夜はトルコ料理店でディナー。世界最大のトルコ人移民街でもあるベルリン。この街に住んでいた頃ケバブ屋の大将に見初められ、嫁に来てくれと懇願されたことを思い出した。忘却の彼方にあったが、学生の頃も色鮮やかな日々を過ごしていたのだと20代だった自分に「久しぶり」と手を振った。
ラム肉の滋味豊かな味を楽しむ。まず香草で蒸し焼きにしてからトマトソースと絡めて焼いているから、臭みもなくジューシーで美味。
ベルリンに戻ってから、よく食べよく飲んでいる。よく歩きよく喋る。本能に忠実に生きている。明日は泳ぎたい。
【7日目】
来たるコンサートのポスター用写真撮影日。ロケ地は自然の神秘が感じられる湖畔が良いだろうと、見当をつけておいたベルリン南西部の駅で降りたところ、プラットホームにとんでもないカリスマ性を放つ老婦人が立っており、猛烈な好奇心をたたえた彼女の眼と私の無駄に大きな眼から放たれる視線が宙で交錯した。
「ここで何をしているのかえ」
「写真撮影のロケ地を…」
「どんな場所かえ」
「樹々と湖が広がる神秘的な…」
「この駅の近くにそんな場所は無かっ。ひと駅戻りゃっ」
と、強烈なベルリン方言でまくし立てるご婦人。ちょうどやって来た反対方向の電車に押し込まれ、催眠術にかかったような心地で着いた場所がシュラハテンゼー駅。眼前に広がる湖。ああそうだった、私が思い描いていたのはここだったと、先ほどの老婦人に心の中で手を合わせる。多謝。
フォトグラファーが格好のスポットを探しに行っている間、煌めく湖面の囁くような誘惑に抗えず、どぶんと飛び込んでしまった。撮影前なのに髪がずぶ濡れになったが、水から上がってブンブン頭を振ればあっという間に乾くほどの晴天。湿度低し。四方に海のない内陸のベルリンで泳ぎたい方、この湖はいかがだろうか。
無事に撮影を終え、夜はブランデンブルク門に集合。門の上に乗った勝利の女神ヴィクトリア像はかつてナポレオンによって戦利品としてフランスに持ち去られ(のちにプロイセン軍が取り戻した)、1961年にはベルリンの壁が門の前に建設されたために東西分断の象徴となり、1989年の壁崩壊までその一帯は無人地帯であった。この街の悲喜こもごもを、時にだらだらと涙を流しながらただ立ち尽くして見守るしかなかったブランデンブルク門。
何度かここで年越ししたと思い返しながら、妙な感傷に襲われていないか確認する。とらわれると厄介な感情なので、私は感傷を忌避している。
ビールとポメス(フライドポテト)の黄金コンビを楽しんでいるうちに、時計がてっぺんを回った。麦酒も身体を一巡した。帰りがけ、義務感から撮ったブランデンブルク門の写真があまりにもぞんざい過ぎて笑った。
またすぐここに戻って来る。
【8日目】
まるでこの街に住んでいるように毎日が過ぎて行く。多くのヒトビトに会い、新たなプロジェクトが生まれ、どんどん仕事が溜まり、疲れも溜まり、そしてビールが旨い。
夜はクロイツベルク地区でフォトグラファーと食事。2人前はありそうなラザニアを余裕で胃に収める。そしてまたもやビールが旨い。
【9日目】
ソロコンサート公演日。
正午の時点で気温29度、湿度43%。壁紙かと見紛うほどの絵に描いたような青空。はるばるスウェーデンから親友3人がコンサートを聴きに来てくれて、私の鍵盤に込める入魂の度合いはかなりのものだったと思う。数年前にデンマークで出会った日本人の友達とも会場で再会を果たし、もはや自分がどこにいるか分からなくなる。
終演後、親友の1人ジョンがオープンカーを借りた。午後9時の真夏のヨーロッパの空はまだ明るく、私たちはガンガンに音楽をかけながら街を駆け抜けた。今夜でベルリン全公演を終えたので、少々の羽目外しは許されるだろう。しかし、タガは外さないでおこう。
向かったのは、ミッテ地区に位置するCORDOBAR。ビオ・ワインの品揃えが豊富で、しかも何を食べても美味しい。特にポークベリーは日本風の味付けで、グルメマニアの友人たちも満足。価格も手頃でお薦めです。
帰り道を照らす月が潤んだように美しかった。
【10日目】
明日はデンマーク、さらに明後日からはスウェーデンへ移動するので、その支度をしているうちにあっという間に夜になってしまった。ディナーには6人が集結。
そのうちの1人は、シンガーのソフィアである。私の大親友で、今夜も横に座っているジョンと彼女は高校時代のクラスメイトだった。私がベルリンに移った2002年、ソフィアとそのバンドのポスターが街中に貼られているのをジョンが発見。彼らは久々の再会を果たし、そのご縁で私もソフィアと知己を得た。彼女の楽曲はなんとシャネルのファッションショーでも使われ、ジョンと私はしょっちゅうその曲で踊ったものだ。
16年の歳月が流れた今宵、世界の友人たちがベルリンで同じテーブルを囲んでいる。
私にとって幸せとは、愛するヒトビトと大声で笑いながら食卓を囲み、盛大にごはんを食べることである。