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御前会議が開かれた皇居・御文庫付属室の会議室。上が1965年、下が今年7月に撮影された
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御前会議が開かれた皇居・御文庫付属室の会議室。上が1965年、下が今年7月に撮影された

 昭和天皇が終戦を決断した皇居地下の防空壕「御文庫(おぶんこ)付属室」内部の映像を、宮内庁が50年ぶりに報道陣に公開した。戦時中、重要な国策決定の舞台となったが、激しく劣化が進み、足を踏み入れるのが危険な状態となっていた。

     ◇

 御文庫付属室(建面積631・5平方メートル)は、太平洋戦争開戦前の1941年9月に完成。昭和天皇が戦時中住んでいた「御文庫」(現・吹上大宮御所)とは45年に地下トンネルで結ばれ、終戦直前には補強工事が行われた。トンネルは戦後間もなく埋められ、付属室は現在まで手を加えないまま残されている。

 同庁は7月15日に内部を撮影。東側入り口から中へ進むと室内は真っ暗で、気温は16~17度と外より低いが、湿度が80%以上に達し結露が発生していた。コンクリートのあちこちで剥落・ひび割れが生じ、雨水や土砂が流れ込み、ハクビシンなど動物の痕跡もあった。

 終戦直前の御前会議が開かれた会議室(60平方メートル)の船底の形をした天井は、一面に赤いさびが目立つ。壁板は倒れかけており、床板は破損して木材が散乱。会議室に通じる鉄の扉は濃い緑色がさびで変色し、動かなくなっていた。会議室東にあり、昭和天皇のための「御厠」(9平方メートル)は、洋式の便座が残っていた。

 隣接した二つの事務室(各24平方メートル)の状態は、会議室に比べれば良好だったが、同様に傷みは激しかった。終戦の日に昭和天皇が自身の玉音放送を聞いた南側の「御休所(ごきゅうしょ)」では、木の扉のちょうつがいが外れ、倒れたままになっていた。

 一番広い機械室(78平方メートル)では、さびた発電機が放置され、メーターが止まったまま。通信室(18平方メートル)の床も破損し、木材が散乱していた。

 同庁は「今後も基本的に手を加えず管理していく」とし、改修などはしない方針を示している。

2015/8/1

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