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被爆直後に受けていた検査のカルテを手にする貞清百合子さん=神戸市灘区
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被爆直後に受けていた検査のカルテを手にする貞清百合子さん=神戸市灘区
「good health」(2行目)などと書かれたカルテ
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「good health」(2行目)などと書かれたカルテ

 6歳の時、広島で被爆した神戸市灘区の貞清百合子さん(77)は今年5月、日米共同の放射線影響研究所(広島市)に被爆直後に受けた検査記録を請求し、約70枚のカルテを受け取った。被爆2年後から検査を受けたが、届いた記録は10歳からしかなく、書かれた所見は「good(良好)」。当時の苦しみとかけ離れたものだった。憤りとともに反戦の思いを一層強くし、核廃絶の署名集めを続ける。(阿部江利)

 貞清さんは爆心地から約1・5キロ地点にあった寺で被爆。親戚17人を亡くし、直後から母と遺骨を集めて回った。両親と3人で市内のバラック小屋で暮らすようになったが、中学生の時に父母もがんで亡くなった。親戚に引き取られた後、21歳で神戸に来た。

 検査は同研究所の前身である米原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島と長崎の被爆者に実施しており、貞清さんも無差別で対象に選ばれた。1947年から毎年検査を受けたが、母は「ピカにあわされて、モルモットと一緒やけえ」と反対していた。

 カルテは「70年のけじめに」と取り寄せた。ところが、最も症状が重く、下血を繰り返すなどした小学3年時のカルテは届かず、問い合わせても見つからなかった。

 それ以降も頭痛や鼻血、めまいなどを訴えたはずだが、カルテには「good condition(良好な状態)」などの文字が並んでいた。

 一人一人の苦しみが正確に記されていなかった記録。「がっかりした。あのつらさは一体何だったのだろうと」

 年齢を重ねるにつれ体調が優れない日が増えてきた。署名集めも30分と立っていられないが、強い思いに駆り立てられる。

 「最近は非核の決意がじわじわ揺らいでいるように感じる。後から『私は嫌だった』と言ってもだめ。今、しっかり声を上げなければ」

 【放射線影響研究所】 原爆の放射線による影響を調べるため、米国が1946年、原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立。広島、長崎市の約9万4千人を調査した(50年当時)。75年、日米両政府が共同で管理運営する財団法人に改組した。広島市と長崎市に研究所を置く。

2015/8/20

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