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戦争とひょうご記事一覧

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 あの戦争で何が起き、戦後70年の今をどう思うのか。兵庫県内の体験者の言葉に耳を傾けた。きょう70回目の「終戦の日」を迎える。

 神戸空襲(1945年)の体験談が多くの読者から寄せられました。その一部を紹介します。

【わが家は影も形もなく】

 3月17日未明。何千、何万発という焼夷(しょうい)弾が落ちました。妹ののど元に弾の破片が当たり、母が背負って病院に運びましたが、医者は「もうあかん」と。空襲が収まり、外に出ると、わが家は影も形もなく、みんな灰。呆然(ぼうぜん)としました。父は妹を大倉山に運び、多くの方と荼毘(だび)に。つらい記憶が今も心に残ります。(神戸市長田区、尾張富子さん 89歳)

【生後2週間 母に守られ】

 3月の空襲で母は生後2週間の私を背負い、ねんねこを着て数枚のおむつを持って逃げました。家は焼かれ、学校の片隅に避難。私の顔はすすけ、前髪がチリチリに焼けていたそうです。

 小学校を卒業するくらいまで「戦争」という言葉を聞くと、おなかが痛くなり、心臓がドキドキしていました。体が空襲の恐ろしさを覚えていたのでしょう。今年、喜寿のお祝いをしてもらいました。亡き父と母が私を守ってくれたおかげです。(神戸市西区、中嶋三紀子さん 70歳)

2015/8/15

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