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戦争とひょうご記事一覧

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重巡洋艦「加古」。全長185.2メートル、全幅16.9メートル、基準排水量8700トン
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重巡洋艦「加古」。全長185.2メートル、全幅16.9メートル、基準排水量8700トン
沈没当時の「加古」について語る元信号員の石上民夫さん=洲本市宇山2
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沈没当時の「加古」について語る元信号員の石上民夫さん=洲本市宇山2

 東播磨を流れる加古川にちなんで名付けられた旧海軍の重巡洋艦「加古」が太平洋戦争中、潜水艦の魚雷を受けて沈没し、乗組員約720人中74人が亡くなって今年で73年となる。艦内には日岡神社(加古川市加古川町大野)の分霊「日岡(ひおかの)大神(おおかみ)」が祭られていたという。同神社は「忘れられつつある歴史を後世に伝えていきたい」と沈没の日にあたる今月10日、慰霊祭を執り行う。(井上太郎)

 1942(昭和17)年8月8、9日、日本軍は南太平洋にあるガダルカナル島の飛行場を奪還しようと、第1次ソロモン海戦で連合国軍と戦った。

 加古は僚艦とともに敵艦4隻を沈め、帰路に就いた。当時、2等水兵で信号員として艦橋にいた石上民夫さん(93)=洲本市=は「(海戦の戦果に)やった、やったと沸いていたのが一転、『ドーン』『ドーン』とごう音が続き、海に放り込まれた。覚悟はしていたけれど命は惜しかった。みんな浮いてきた樽(たる)や木箱に必死にしがみついた」と振り返る。

 重度のやけどを負ったままサメに襲われ、姿が見えなくなった乗組員もいたと伝わる。石上さんは漂流2、3時間後、駆逐艦に救助された。スコールを甲板で浴びて潮を洗い流せたとき、「少しだけ生きた心地がした」という。

 分霊が祭られていたことを知る人も減り、日岡神社と加古とのつながりは昨夏まで途絶えていた。学者から問い合わせを受けたのを機に、神社が元乗組員や遺族らを探したが、生存者らでつくる「加古会」は解散していた。

 1年前、沈没した日に合わせて関係者らに集まってもらおうと、同神社は加古川市などを含む旧加古郡の戦没者慰霊祭を約70年ぶりに開くと同時に初めて加古を顕彰した。台風で参加者は少なかったが、関口洋介権禰宜(ごんねぎ)(36)は「戦争体験を聞ける機会は、この先減っていくだろうが、慰霊祭は続けたい」と話す。

 高齢のため今年も慰霊祭に出席できない石上さん。「(軍艦の中でも大きい)戦艦に比べて地味で、戦後、加古について聞かれたことはほとんどなかった。神社が縁となり、亡くなった戦友たちと共に忘れずにいてもらえたら」と語った。

 【加古】神戸の川崎造船所で完成し、1926(大正15)年に就役。20センチ主砲を搭載し、太平洋戦争中、主に後方支援を担い、史上初の航空母艦同士の決戦となった珊瑚海海戦では空母「祥鳳」を護衛するなど前線で戦った。日本軍が夜襲を仕掛けた第1次ソロモン海戦で、ニューアイルランド島のカビエンへ帰る途中、米潜水艦の雷撃を受けて沈没した。

2015/8/7

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