戦争とひょうご記事一覧
太平洋戦争末期の原爆投下から、今年で70年になる。8月6日に広島で、同9日に長崎で、一瞬にして多くの命が奪われた。焼け野原になった街で、日本兵が焼けただれた遺体を運ぼうとすると、皮がずるりとむけた。無数の遺体を川に投げ入れ、積み上げて火を付けた。いつ終わるとも知れない作業に従事した人たちの脳裏には、今も当時の光景が焼き付いて離れない。
「成仏を」涙こぼれた 広島、遺体を川へ投げ入れ/谷川静雄さん(89)=三木市吉川町
「熱い、痛い」「兵隊さん、水をくれ」
1945年8月6日、広島。トラックで橋の上に運ばれた被爆者が口々に訴えた。顔や腕は、やけどで皮がむけていた。一升瓶で川の水を与えると、「ありがとう」と言い残し、果てていった。
「成仏してください」。19歳だった谷川静雄さん(89)=三木市吉川町=はそう言葉を掛け、遺体を川へ投げ入れた。涙がこぼれた。憲兵隊の命令で連日駆り出され、数え切れない遺体を葬った。
原爆投下時は陸軍の船舶暗号兵として、爆心地から3・7キロの仁保町の兵舎にいた。午前8時15分。軍服を脱ごうと左手を抜いた瞬間、熱風に襲われ、兵舎もろとも吹き飛ばされた。がれきの中から無我夢中で脱出した。
それからは食べるのに必死で、民家の焼け跡から瓶に入ったラッキョウや焦げた麦を見つけては、飢えをしのいだ。
復員後、体調を崩し、白血球が少ないと診断された。栄養失調だと思っていたが、原爆の影響だった。たばこをやめ、食べ物にも気を使う。日に当たるとひりひり痛むため、夏でも長袖が欠かせない。
大動脈解離や肺がんも乗り越え、「前向きに生き、社会に貢献することが戦友の供養になる」と話す。
8月末、約30年ぶりに広島に行く。長女、次女家族の願いに応え、被爆した場所を訪ねることにした。
「本当は行きたくないし、被爆体験を語りたくもない。でも、若い世代に伝えていかないといけない」
(大島光貴)
◆
「まさに地獄だった」長崎遺体を積み上げ火葬/当津 隆さん(89)=神戸市垂水区
両手両足を二人で持ち、「1、2の3」の掛け声で遺体を放り投げる。10体以上、積み上げて人の山をつくり、火を付けた。焼け野原のあちこちで、黒い煙が立ち上った。
当時19歳だった当津(とうつ)隆さん(89)=神戸市垂水区=は、長崎で遺体の火葬に携わった。
8月9日午前11時2分。陸軍歩兵第39連隊に所属していた当津さんは、爆心地から約10キロ離れた臨時兵舎で原爆の閃光(せんこう)を見た。
すぐ出動命令が出され、市内へ。死んだ母親の体をまさぐる血まみれの乳児、木に突き刺さった人…。浦上川は血で赤く染まった。
高台に被災者が集められ、息のある人がうごめいていた。当津さんは、死亡が確認された遺体を運んだ。
当津さんも8月下旬から、微熱や下痢、倦怠(けんたい)感が続いた。箸も持てず、あごでコップを倒して水をすすった。
戦後、高校教諭になったが、終戦から5年後に再び同じ症状に悩まされ、数カ月療養した。69歳で前立腺がんになるなど、これまでに何度も手術した。
「長崎はまさに地獄だった。本当の惨状を知れば、誰も再び原爆を使おうと思わないはずだ」
(斉藤正志)
2015/8/5軍靴の響き生々しく 本紙ニュース映画を鮮明修復2016/1/4
引き揚げ記録デジタル化 神戸の団体 足跡後世に2015/12/29
女性が見た“戦場”元従軍看護婦・近藤文子さん2015/12/9
空襲、学徒動員…青春時代の戦争記憶冊子に 日ノ本学園高同窓生2015/11/24
学徒出陣 入学者の8割超 神戸大の前身校 学籍簿など洗い出し 2015/11/1
特攻隊員を追悼 鶉野飛行場跡で平和祈念祭 加西2015/10/5
大聖寺、戦争の惨禍後世に 平和祈る像 屋上に建立2015/9/24
「ひどいもんやった」空襲、抑留 戦争体験語る 篠山の男性3人講演2015/9/23
「生き方」を問う戦没画学生作品 美術館主 窪島さん講演2015/9/18
元軍国少女80代の後悔 3人の文章、ネットなどで反響2015/9/14
戦時時中神戸から豊岡へ疎開体験の2男性が講演会2015/9/10
戦時中、陶器地雷を丹波焼で量産 篠山の丹波焼工房2015/8/24
「李香蘭」めぐり講座 戦中の宣伝映画も上映へ 神戸2015/8/22
原爆の傷、カルテには「good」 米国の記録に神戸の女性憤り2015/8/20
終戦の日 淡路島各地で追悼行事 平和誓う2015/8/16
安保法案に反対するママの会 廃案目指しビラまき2015/8/16
終戦に日 宝塚で平和祈念式典 非戦の誓い新たに2015/8/16
香美・奥佐津地区で「戦没者招魂祭」 遺族ら35人参列2015/8/16
元海軍飛行予科練生らが対談 戦争にならない歴史伝え 加古川2015/8/16
平和の思い新たに 戦争の悲惨さ語り継ぐ 三田の男性2015/8/16
戦没者追悼式 不戦誓う 遺族ら700人参列 姫路2015/8/16
終戦の日 明石市内各地で追悼行事 平和誓う2015/8/16
合同戦没者追悼式 遺族ら100人出席 三木2015/8/16
終戦から70年 節目の1日は厳かに2015/8/15
赤穂で唯一空襲にあった「せりあ丸」 住民グループが企画展 2015/8/16
戦後70年、空襲体験者が講演会 神戸市立図書館2015/8/15
全国戦没者追悼式 天皇陛下のお言葉全文2015/8/15
全国戦没者追悼式 安倍首相の式辞全文2015/8/15
戦没者追悼式典 戦争体験者、思い継ぐ世代が鎮魂の祈り2015/8/15
【戦後70年 体験者の話】中国から南方へ転戦 足立賀男二さん(94)2015/8/15
【戦後70年 体験者の話】学童疎開船、生還体験語り継ぐ 西林弘子さん(82)2015/8/15
【戦後70年 体験者の話】海軍航空隊整備兵 中野芳男さん(90)2015/8/15
【戦後70年 体験者の話】姫路で空襲を体験 金沢忠義さん(82)、金井正彦さん(80)2015/8/15
【戦後70年 体験者の話】三木へ疎開、極貧に耐え 岡本敬子さん(79)2015/8/15
【戦後70年 体験者の話】神戸空襲 わが家は影も形もなく2015/8/15
大戦末期、神戸中心部に地下軍需工場 秘密裏に阪神電鉄の線路接収2015/8/14
「命惜しくなかった」17歳で特攻志願の上山さんが手記 宍粟2015/8/14
「いかにぶざまで無意味なことか」 中国戦線に参加、豊岡の井垣さん2015/8/14
空襲で2度自宅焼かれる 柏原の内田さん「夜が明けたら焼け野原」2015/8/14
戦後70年に当たっての安倍首相の談話全文2015/8/14
安倍談話「おわび」記述 歴代内閣の立場継承2015/8/14
「命惜しくなかった」17歳で特攻志願の上山さんが手記 宍粟2015/8/14
夫へ「幸せです」 孫、ひ孫と追悼式で報告へ 子残し戦地で先立たれ2015/8/14
B29撃墜0.9% 本土決戦へ戦闘機温存 兵庫県内空襲で日本軍2015/8/14
惨状伝える父の手紙「新型爆弾ノ攻撃、娘ら火傷死」 長崎で被爆2015/8/9
兄の被爆死伝えたい 原爆で焦げた弁当箱今年も公開 神戸の男性2015/8/8
南方で沈没、重巡洋艦「加古」 故郷の社で慰霊 加古川2015/8/7
原爆の惨禍語り継ぐ 兵庫2人含む「伝承者」50人が活動2015/8/7
70年の原爆の日 病魔と闘い逝った母思う 尼崎の畑井さん2015/8/6
原爆遺児の母 運命を全う「進むべき道精いっぱいに」萬みち子さん2015/8/6
試練、愛深めた母子 焼け跡の神戸2人の原点2015/8/6
「戦争の苦しみはずっと続く」 明石城西高新聞部が体験者など取材2015/8/6
広島原爆投下から70年 被爆ピアノでコンサート 丹波市2015/8/5
6日広島、9日長崎 原爆投下70年-消えぬ記憶2015/8/5
平和の灯 高校生つなぐ 自転車で全国へ 神戸で非戦、復興誓う2015/8/4
生田神社の鳥居 86年の歴史に幕 伊勢神宮で戦災免れ、震災の神戸へ2015/8/4
香住沖で海防艦撃沈 犠牲者の慰霊祭 香美2015/8/3
終戦間際に犠牲 「住吉丸」予科練生82人悼む 南あわじ2015/8/3
伝える被爆者の「重荷」 後遺症におびえ差別と戦った 芦屋の千葉さん2015/8/3
皇居地下防空壕「御文庫付属室」映像公開 「聖断」の舞台劣化激しく2015/8/1