戦争とひょうご記事一覧
あの戦争の記憶を私たちはどれだけ引き継いでいるだろうか。容赦のない殺りくが繰り返され、罪のない市民の命まで奪われた。街は焦土と化し、悲しみ、苦しみ、絶望にまみれた。あの戦争で何が起き、戦後70年の今をどう思うのか。兵庫県内の体験者の言葉に耳を傾けた。きょう70回目の「終戦の日」を迎える。
【傾く船、多くの友渦にのまれ】
神戸市灘区の六甲山腹にある有料老人ホーム。入居者の足立賀男二(かおじ)さん(94)は、この場所から海を眺めていると、太平洋戦争で沈んだ船を思い出すことがある。「今もあの海に大勢の戦友が沈んでると思うと、泣けてくるんです」
足立さんは陸軍歩兵第81連隊に所属。中国大陸を転戦した後、上海から南方のラバウル(現パプアニューギニア)へと向かうことになった。1943(昭和18)年10月20日、乗り込んだのは国に徴用された元貨物船で、兵員や物資を運ぶ「粟田丸」(全長141メートル、7397トン)。2日後の22日午前3時45分ごろ、沖縄の西方に差し掛かった時だった。
突然「ガーン」とすさまじい音がした。寝ていた足立さんは体が跳び上がった。米潜水艦の魚雷攻撃。船は傾き、渦の中へ引き込まれた。油混じりの水が口に入ってくる。「もうだめか」。出征の際に寂しそうだった父親の顔が浮かんだ。
気が付くと材木に頭が当たり、水面に首が出た。まだ仲間が下にいる、と思った。「ここに、戦友がおる。戦友がおる」。心の中で繰り返し、思わず片手で足の下を指さした。だが、どうすることもできなかった。
船は真っ二つに折れて沈んだ。足立さんは丸太につかまって海上をさまよった。味方の駆逐艦に助けられた時には、夜が明けていた。粟田丸を所有していた日本郵船の記録では、死者1310人。生存者は162人だけだった。
◇
だが、悲しむ暇はなかった。生存者はそのまま要塞(ようさい)化されていたラバウルへ。待っていたのは激しい空襲と艦砲射撃、マラリアだった。足立さんも高熱を出し、隣で寝ていた下士官は空からの機銃掃射で亡くなった。
45(昭和20)年8月15日。「いつも来る艦載機が来んようになって。ヤシの林から空を見てえらい静かやぞ、と話してたのを覚えてますわ」。その日の夕方近くに上官から「日本は負けたらしい」と聞いた。
「今やから言えるけど、ほっとしましたな。わしらアメリカに連れていかれるかも分からんぞとは言うてましたけど、やれやれという気持ちが強かったです。ただ、内地はどうなっとるか分からんから心配でしたな」
足立さんは早くに母親を亡くし「帰ったら、父に親孝行せなとばかり思ってました」。捕虜生活を経て46(昭和21)年4月に復員。徳島県の叔父の家に身を寄せていた父の元に向かった。だが叔父の家の手前で、父が前年の暮れに亡くなっていたことを近所の人の話で知る。雨の中でしゃがみ込んで泣いた。
「一言で言うて戦争はあきませんわな。戦争を経験した人は、二度とあったらいかん、と骨の芯から思とると思いますな。今は、自衛隊を動かす政治家が頭ん中だけで兵隊を動かすんちゃうかいなと心配でね」(森 信弘)
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