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戦争とひょうご記事一覧

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疎開中の日記や手紙を手に思い出を語る安田さん(右)と、耳を傾ける久保田さん(右から2人目)ら高校生=龍野高校
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疎開中の日記や手紙を手に思い出を語る安田さん(右)と、耳を傾ける久保田さん(右から2人目)ら高校生=龍野高校

 太平洋戦争末期、神戸から、現在の兵庫県たつの市に学童疎開した安田稔さん(83)=大阪府堺市=に取材したドキュメンタリー映像作品を、龍野高校(たつの市龍野町)の生徒が制作した。同校は、安田さんが約7カ月の疎開生活を送り、母校ともなった思い出の場所。このほど、同校文化祭での上映会に安田さんも招かれ、後輩たちに「皆さんの手で平和を守ってください」と語り掛けた。(松本茂祥)

 戦争当時、安田さんは神戸市須磨区衣掛町に居住。同市若宮国民学校6年時の1944年8月、旧揖保郡龍野町(現たつの市龍野町)に学童疎開。45年3月までの約200日間、旧制龍野中学校(現龍野高校)の空き教室で寝泊まりした。

 「当時は私たちの家でした」。安田さんの回顧から始まるドキュメンタリー作品「夢なき舎」は、同校3年の放送部員久保田千尋さん(17)が企画した。

 戦時中の思い出を問われ、「空腹でつらかったという思いより、家が恋しかった、家族と離れていたことが一番つらかった」。

 教員だった父に持たされた日記帳や、親と交わした書簡を今も手元に残す安田さんの記憶は、70年を経てなお鮮明だ。「夢はなかった。お国のために戦う。そうすべきだと教え込まれていた」

 安田さんは国民学校卒業を機にいったん神戸に戻るが、45年3月17日の神戸大空襲を経験し、一家で母方のおじを頼って揖保郡御津町(現たつの市御津町)へ再び疎開した。

 そして終戦。「うれしかった。死ななくてもいいんだ、と。強がってはいたが、怖かった」。龍野高校に通い、卒業する18歳まで現たつの市で暮らした。

 学童疎開から70年たった昨年、安田さんは疎開先の龍野高校を同級生と再訪。後日、書き送った礼状が全校集会で紹介されたのをきっかけに、久保田さんの取材が始まった。

 作品は、子どもらが夢を記した紙を掲げた映像とともに「今の日本は、あなたの夢をかなえられる場所ですか」との問い掛けで締めくくられる。久保田さんは「戦争のことは重い気持ちになるから避けがち。それぞれの夢を守るために、今できることを考えたかった」と話す。

 同校を訪れた安田さんは、こう生徒に語り掛けた。「戦後70年がたち、爆撃で一般の人も大勢亡くなったことを忘れてしまっている。平和とはどういうことか。戦争が何をもたらすか。18歳以上の皆さんは選挙権を持つことになった。たぶん最初で最後、後輩の皆さんに申し上げるお願いです。日本の平和を守ってください」

    ◇

 たつの市立龍野歴史文化資料館(同市龍野町上霞城)では今夏、安田さんの日記を中心に、戦時下の子どもに焦点を当てた企画展が予定されている。同館TEL0791・63・0907

2015/7/1

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